昨日の「いじめと教師と毒親と(その1/2)」では、私が高校1年生の時に経験したいじめのこと、毒親の母の対応のこと、担任の教師の対応のこと、それに対する当時の私の気持ちや考えなどを交えながら体験談を書かせていただきました。
そして今日は、私が経験したいじめにまつわる様々な後日談を書きたいと思います。
世の中で数えきれないほど起きているであろういじめ、いつまでたってもなくならないいじめ。
私の経験はたった1つの事例でしかありませんが、読んでいただいて、いじめがどんなにくだらないことかと言うことを知っていただけたら幸いです。
後日談あれこれ
母の後日談
私がとうとう一人で耐えられなくなって母に相談して、母から電話で担任にも話が伝わって、それでも結局、大人たちは誰も私に助けの手を差し伸べてくれることはありませんでした。
こうして何も状況は変わらないまま年越しをして、3学期もあと3週間くらいで終わる頃のことです。
母が突然「あんた、お婆ちゃんのところに引っ越して、あっちの高校へ行く?」と言ってきました。
その言葉を聞いて私は真っ先に「今さら?」「今頃になって?」と心の中で思いました。
そして、普通のご両親がいるご家庭で育ってきた人なら、この言葉を聞いたら当たり前のように「ああ、お母さんは私の事をずっと心配してくれてたんだな…」と思うと思います。
でも、毒親育ちの私は母の本質を痛いほど知っていたので、この母の言葉の本当の意味を瞬時に見破りました。
- 母は、娘が毎日憔悴している理由を知っている
- だけど、自分で話を聞いたり、手助けをするのも面倒
- でも、「娘が苦しんでいるのに何もしない母」として学校側から見られるのが嫌
- だから、「娘の事を親としてちゃんと考えているんですよ」アピールをするために、私を転校させ
- そして、私を祖母に任せて家から出すことで、娘を助けない母の後ろめたさから解放されたい
と思ってるなって。
普通のご家庭で育った人にしてみれば「なんてひねくれた考え方をするんだ(呆)」と思われるかもしれませんけど、これこそが毒親育ちの娘だから分かる「毒親の思考回路」なのですよ。
そして、上辺だけは私を慮っているようでいて実のところ厄介払いをしたいと思っているそんな母の言葉に、悲しさよりもなんだか怒りがふつふつと湧いてきました。
その次に、フッと心が冷めると言うか、冷静になった自分がいました。
もう絶対母を頼ったりしないし、母の思い通りにはならないし、自分の人生は自分でなんとかしてやる…と心に誓いました。
そんなわけで、私は即答で「もう3学期だし、もう少しでクラス替えだし、大丈夫。このまま学校へ行く。」とだけ答えたところ、母は案の定「本当にいいの?」とか「もうちょっと考えてみなさいよ。」みたいな言葉もなく、あっさりと「あらそう?」でこの話は終わりまして。
私は、この時の怒りと、私自身の意地で、3学期も1日も休むことなく学校へ通い続けて、無事に1年生を終えたのでした。
教師の後日談
母から電話で事情を聞いたであろう担任の教師は、結局何も手助けはしてくれず、見て見ぬふりをしたまま3学期が終わり、私は2年生に進級しました。
クラス替えがあったことで、この何もしてくれなかった担任の教師とも、いじめをしていた人たちとも無事に離れることが出来て、私はやっと楽しく高校生活をおくれるようになりました!
と思いきやです。
3年生に進級した時のクラス替えで、私を無視していた、しかも主犯格の人を含めた数名と、再び同じクラスにさせられてしまいました。
学校には母から事情は伝えられていたはずなのに、1年の時の担任の教師が情報を他の教師たちと共有してくれていなかったのか?
それとも、教師たちの悪意なのか?
再び同じクラスにさせられて、私は「これはもしかしたら教師たちの悪意なんじゃないか」って本気で思いましたし、悪意じゃなかったとしても何も考えてくれていない高校の教師たちを心底恨みました。
でも、決まってしまったことは、私にはどうすることも出来ません。
私は平静を装って毎日学校へ行き、平静を装って3年の学校生活をおくり始めました。
すると、3年のクラスでは私も最初からいじめをしてきた人たちとは関わりませんでしたし、もちろんいじめていた人たちへ仕返しをするようなこともしませんでしたし、他のクラスメイトと普通に仲良く過ごして、無事に楽しい高校生活をおくれたので、本当に良かったですけどね。
むしろ、いつも誰かの揚げ足を取るようにヒソヒソ言うタイプのいじめをしていた人たちの方が、クラス全体が仲良かったクラスの中でちょっぴり浮いた存在になっていた気がします。
いじめの原因を知る
高校を卒業して1年くらい過ぎた頃のこと、小学生の時から知っている近所の友人(A子)が、いじめの主犯格だった人(Bさん)と駅前でばったり会ったそうで(←A子とBさん、この2人も高校は違いましたが同級生)「ちょっとお茶したのよ~」と私に話てきました。
その時に、私のいじめのことを知っていたA子がBさんにチラリと「なにがあったの~?」と聞いたのだとか。
そして、思いがけずA子から伝えられたBさんが言っていたいじめの原因、それは
「特に何があったとかじゃないけど、なんとなくそうなっちゃったんだよね~!」
ですって。
・・・ハァ?( ̄д ̄)
高校1年生の半年間、私は特に何をしちゃったわけでもなかったのに、気まぐれのような「なんとなく」でいじめを受けて、あんなに精神的にダメージを受けて、苦しんで、ついでに毒親のこととか教師の対応につらい時間を過ごしたんだと思ったら、なんか、腹が立つを通り越して馬鹿馬鹿しくなりましたね。
こんな他人の「なんとなく」のせいで学校に行けなくなったり、転校したりしなくて良かった。
私、最後まで負けなくて本当に良かったと心底思いました。
と同時に、いじめの理由を知って私は1つ腑に落ちたことがありました。
私を急に無視し始めたグループの人たちの中に、理由は分からなかったけど、年賀状をくれていた人もいたんです。
無視して陰で悪口をヒソヒソ言うくらい私のことを嫌いなはずの人たちなのに、何で年賀状をくれるの?と不思議に思っていましたけど、もしかしたら、グループの中では逆らえないけど、いじめをするのは本意ではなかった人もいたのかもしれませんね。
ただまぁ、いじめをしていた人も、それを見て見ぬふりしていた人たちも、私にとっては同じ穴の狢ですけどね。
あとがき
こんな感じで、私の馬鹿馬鹿しいいじめ体験は終わりました。
いじめにあった理由も不運、事なかれ主義の教師だったことも不運、親が毒親だったことも不運、色んな不運が重なってしまって、私は最後まで自力で耐えて乗り越えるしかありませんでした。
ただ、私が母に事情を話して「母が私のことを考えて対応しようとしてくれている」と勘違いしたあの一瞬、私は心のよりどころが出来たような、少し心が軽くなるような、そんなホッとした気持ちになりました。
だからね、「ちゃんと子供の事を心配してくれるご両親がいる」のであれば、「ちゃんと生徒の事を考えてくれる教師がいる」のであれば、やっぱりいじめにあっている人は一人で抱え込まずに誰かには話をした方がいいと思うんです。
1人で耐え抜くのは、やっぱりつら過ぎますよ。
自分の状況とか気持ちとかを誰かが分かってくれたなら、それはとても心強いことです。
心の支えになってくれると思うのです。
1人で耐え抜くしかなくて、苦しくて悲しい思いをした私が言います。
頼れると思える人がいるならば、絶対に一人で抱え込まないで!誰かに助けを求めて!
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