「頑張ってしまうクセ」に気づけた日

エッセイ

どうやら私は、自分の体調の悪さに気づくのが鈍いみたいです。

そうなった原因は、おそらく毒親である母に子供の頃から言われてきた言葉にあると思っています。

 

母は私の行動を全て把握しようとしていたので、私がまだ小学生や中学生くらいの頃は、遊ぶにしても近所の友達と近所で遊ぶ程度だったので母もまだイライラせずに済んだみたいですけど、私が成長と共に交友関係も広がり母の目の届く近所だけが行動範囲でなくなってきたら、それに比例して母の私への監視は酷くなってきて、母のイライラもどんどん増していきました。

そして、高校生くらいになれば週末に友達同士で遊園地などへ遊びに行ったりもするようになりましたが、目の行き届かない私の行動が許せない母は、私が出かけて帰って来て

「あー、疲れたー(^^)」

なんて言おうものなら、私の楽しかった気持ちを握りつぶすように

何が『疲れたー』だっ!!!自分で勝手に遊びに行っておいて!遊んでき疲れたとか、なにごとだっ!

と、よく怒鳴られて嫌味を言われたものです。

 

でも人間って、一生懸命勉強したり運動したりしても、全力で思いっきり楽しく遊んでも、等しく疲れるじゃないですか。

それなのに、母は私が出歩くことが気に食わないのにそれでも私が出かけて帰ってきて来た時は、家に帰ってきても「あー疲れた」なんて気を抜いて言葉に出すことも、疲れた素振りを見せることも出来ませんでした。

とにかく、私が友人知人と人並みに人付き合いをして、学生らしく楽しむのであれば、私は疲れても、万が一体調が悪くなっても、出かけたのは私が勝手にしたことであって自己責任なので、家では疲れや体調の悪さを見せてはいけませんでした

そしていつしか、無理することが身について。

ふと気づけば、自分の体調の悪さになかなか気づかなくなっていました。

 

中学の時、授業中に「あーなんかだるいなぁ…」と思いながら授業を受けて、放課後は普通に部活に行って練習していたんですけど、気付いた時には手遅れで、自分で立っている事も歩くことも出来なくなってしまい、部活の仲間が肩を貸してくれて医務室まで運んでくれると言う事態になってしまいました。

そこまでの状態になって、私はやっと「ああ、私、体調が悪かったんだ…」と気付くと言うね。

またある時は、冬に仕事から帰宅して、こたつに入って横になったら、背中と畳が磁石でくっついているような感じで動けなくなって、「あれ?あれれ?くぅ~・・・」と一人もがいている私を見た母がさすがに体温計を取ってくれたので体温を測ってみたところ、40度の熱が出ていて、やっと高熱が出ていることに気づいたこともありました。

動けなくなって初めて「私は体調が悪かったんだ」と気付く私は、つまり、動けるうちは「体調が悪いのではない」と思ったり「体調が悪いとは言ってはいけない」と無意識レベルで我慢することが身についていたみたいです。

 

でも、結婚して実家を離れてから、私は「自分を大切にすることを覚えなければなぁ~」と思いまして、体調の悪さについても、以前ながら我慢していたレベルでも、なるべく自分の体調の悪さに気付いてあげる努力をしました。

そうしているうちに、高熱が出る前に、動けなくなる前に、ちゃんと病院へ行ったり薬を飲んだり出来るようになってきました。

 

ですが、子供の頃から刷り込まれてきたことは、やっぱり完全に消し去ることは出来ないのか?

先週、出先で「何となく調子が悪いような気が・・・」と思いつつも「用事をしているうちに気にならなくなるだろう。」とか思ってしまいまして、そのままアレコレ用事をこなしてから、帰宅しました。

そして、帰宅してホッとして、ちょっと布団に横になったところ、もの凄く体が楽なのです。

やっぱり私、その日ずっと体調が悪かったんだなって、横になれて初めて気づいたと言う鈍さでした。

そして、横になった私はものの1分もしないうちに気絶するように眠ってしまったみたいなんですね。

そうして1時間くらい寝て、ハッと目を覚ますと、体がとても楽になっていたのです。

それで私、思ったのです。

めちゃめちゃ今更な事を言っちゃいますけど、人間、体調が悪い時は寝るのが一番だなって。

これまで、動けなくなる前に病院へ行ったり薬を飲んだりして⇒何とか治して頑張ろう!としてきましたけど、そうじゃない、そうじゃないんです。

体調が悪い時はゆっくり寝て体を労わってあげることの方が大事だなって、この歳になって気づいてしまいました。

刷り込まれてきた私の「頑張ってしまうクセ」に気づけた日でした。

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