ミニマリストもどきにもなれない私

【日々の暮らし】

ミニマリストとは、不要な物を持たず、自分にとって必要最低限の物だけで生活する人のこと。

もともと私はさほど物欲がなくて、と言うと聞こえが良いですが、はっきり言ってけっこう無頓着で、専業主婦になってからはオフィスカジュアルな服も鞄も靴も必要なくなったし、化粧品の数も必要最低限で事足りるしで、今では無頓着に拍車がかかって、すっかり女子力低めで生きております(^^;

なので、この無頓着をもう少し良い方向に軌道修正して家の中に目をやれるようにすれば、ミニマリストとまでは行かなくても「ミニマリストもどき」くらいにはなれるんじゃないか?と思って、ミニマリストについてアレコレ考えてみたんですけど、考えるほど「無理だよなぁ…」と早々に諦めモードに突入しました。

祖母はナチュラルなミニマリスト

私の理解者であり心の拠り所でもあってくれた母方の祖母は、今になって思えば、世の中にミニマリストと言う言葉が広がるずっとずっと前からミニマリストでした。

ミニマリストになろうとしていたんじゃなくて、ナチュラルにミニマリストだった感じです。

「今」使わないものは、持たない、持っていてもすぐに捨てる。

例えば、叔父(母の弟)が学生時代に剣道をやっていて、剣道着や防具などを買ってもらって持っていたらしいのですが、叔父が学校を卒業したと同時に、祖母はその剣道着や防具などをあっさりと捨ててしまったのだとか。

祖母にとって「長男である一人息子の学生時代の想い出の品」だとか「剣道着や防具は高価だった」とかは関係なくて、とにかく「今使わない」「もう使わない」となった時点で処分決定だったのでしょう。

母はそんな祖母のことを「おばあちゃんは、何でもすぐにポイポイ捨てちゃうんだから~(;一_一)」とよく言っていましたね。

だから、私が子供の頃に祖父母の家に遊びに行っても、家の中には必要な物が必要なだけと言った感じでいつでもスッキリしていたし、逆に言えば、母や叔父叔母たちの子供の頃の物などはパッと見た目では残っていなかったので、私にしてみれば楽しい物が無い家でもありました。

そして、祖母はめちゃめちゃ綺麗好きでした。

掃除器はあったのかもしれませんが、イメージとしては、ほうきで掃き掃除をして、祖母はいつも雑巾を片手に持っていましたね。

床も、窓も、棚も、チリやホコリが積もる間もないほどいつも拭き掃除をしていて、テーブルの上や台所にはいつも台拭きがあって、どこもかしこもすぐにサッと拭いてピカピカでした。

我が家にあるみたいな掃除機や、ハンドやクイックルなどのワイパー的な物や、コロコロや、ぱくぱくローラーなどなどの色々な掃除道具はなくて、ほうきと雑巾と台拭きだけで、今の我が家よりも何倍も綺麗を保っていた祖母は、本当に凄かったなぁと改めて思います。

孫娘のはずなのに・・・

そして、私はそんな祖母の血を引く孫娘のはずなのに、いったいどーゆーことでしょう?

書類や郵便物がパソコンの横に山積みなっているし。

棚の上を指でシュッとなぞれば、しっかり指の線が付きますし。

カーペットの部屋も掃除機でチャチャっと掃除するだけなので、たまにコロコロやぱくぱくローラーで掃除をすると、ワンコの毛の生え変わりの時期かよ!って思うほどモワモワな綿埃が取れます。

せっせとするのは、猫くんのブラッシングくらいなものです。

そんなズボラな私なので、今すでに家の中にあるものを必要な物と不要な物に選別するために「どうしようかな?」「これは捨てようかな?」と考えたり悩んだりすることから、いきなり面倒くさい感満載。

もしも祖母がいてくれたら、容赦なく「こんなのもう捨てちゃいなさいよ。」と言ってくれそうだけど、その前に、祖母にこの家の中に入ってもらうのが気が引けるかな。笑

孫娘は「もう少しでも祖母に似てくれていたら良かったのに・・・」と、半世紀以上生きて今更ながらに思っております。

物を捨てたくない夫

そんな私ですが、今から7~8年くらい前に1度だけ、1ヵ月間ほどかけて大掃除をしたことがありました。

当時は家の中に色々な物が色々な所に適当に収納されていて、パッと見た目はきちんと収納されているようで、実は何がどこに入っているか分からないと言う状況に陥っていたのです。

そこで、

  1. 家の中に収納してあるありとあらゆる物を一回全部出すことから始めて
  2. あからさまに不要だと思う物は捨てる作業に取り掛かり
  3. そして楽天カードを作って楽天カードマンに入会ポイントの7000ポイントをいただいてから
  4. そのポイントを利用してバンカーズボックスを購入して
  5. 残すと決めた物は、写真は写真、手紙は手紙、コード類はコード類と言った感じ仕分けしてまとめて
  6. 箱に収納し
  7. ボックスにラベルを付けて、どこに何があるか分かるようにしました。

たったこれだけの作業でしたが、小さい物から大きい物まで家の中にあるものを全て出して広げたところ、自分たちもビックリするくらいの物の量がありました。

なので、家の中はとりあえずリビングの食事をする机と和室の布団を敷くスペースだけ確保して、あとは足の踏み場もないくらい荷物で埋まっていて、何も知らない人が家に入ってきたら絶対に「ゴミ屋敷じゃん…」って思われるレベルでした(^^;

でも、そこまで徹底的にやったおかげで、物の分別が出来て、物のある場所が明確になって「あれはどこ?」と探すことも無くなり、気持ち的にだいぶスッキリしました。

でも、大掃除をしてみて分かったこともありました。

それは、夫が物を捨てたくない人だと言うことです。

私個人の荷物としてはバンカーズボックス2箱程度に納まりましたが、夫個人の荷物は10箱くらいあるのです。

夫が学生の頃から買い揃えてきた歴代のゲーム機器やゲームソフトの数々、私には用途も使い方も分からない古い機材の数々、私にとってはこれらは全て「今はもう全然使っていない物」になると思うんですけど、夫の中では「いつか使う物・いつか懐かしく遊ぶために楽しみで取って置いている物」に分類されているので、捨てるに捨てられないのです。

そんな夫の荷物が、我が家に1ケ所しかない押し入れの下の段を埋め尽くしています。

これさえなければ、もっと家の季節家電や防災グッズや備蓄品を収納しておけるのにって思っちゃう。

とは言え、この家は私の家でもあり、夫の家でもあります。

何でも私の思い通りにするのは申し訳ないので、やっぱり捨てられないよなぁ~。

自分で捨てられない物を押し付けてくる母

それと、今更ながらその存在に困っている物と言えば、実家の母から持たされた品の数々です。

母は、自分が買い集めたり、自分が取っておきたくて取っておいた物なのに、それらがいつしか邪魔になると、たぶん母自身は無意識なんだろうなと思うのですが、自分で捨てることが出来なくて、「自分が物を捨てる」と言う罪悪感から逃れたいのだろうと思うのですが、私に「あげる」とか「いいから持って行きなさいよ」などと言って、私におしつける傾向があります。

例えば、駅前のデパートで毎年クリスマスの時期に限定で販売されていたピーターラビットのプレートとか。

これは5〜6年ほど買って集めていたようですが、毎年買いに行くのが面倒になって集めるのをやめて、結局、全て箱から出すこともせず、中途半端に買い集めたプレートをラッピングされたままの状態で全部私に「あげるわよ。」と言って手放そうとしました。

でも、私ももらっても使わないしいらないしで「え、いいよ。」と断ったのですが、母は都合よく解釈して「遠慮しなくていいわよ(*^-^*)」と笑顔で私に押しつけました。

その他にも、我が家には和箪笥が無いのに、実家の和箪笥の片づけをしたいばかりに渡された古い浴衣だの帯だの一式とか。

まだ使ってない新品の物とか、もう何十年も大事に取っておかれた物を、今さら私だって捨てるのも気が引けるので、「これ、どうしようかな?」と悩むだけで疲れるのです。

そしてこれが一番厄介なのですが、母はそうやって私に自分で捨てられないものを押し付けておいて、でも「あげた」と言う認識でずっと覚えていて、後になって定期的に「アンタに前にあげたアレはどうした?」と聞いてくるので、捨てたなんて言えず、捨てるに捨てれず。

こうして、私のミニマリストもどきへの道は遠のくばかりでございます。

スポンサーリンク

コメント

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました