先ほどちょっと気になる記事を目にしました。
なにやら神道では、「心配すること」は「呪いをかけること」になるのだそうです。
これはちょっと意外に思いましたが、よくよく考えてみたら、毒親育ちの私には腑に落ちるところがありましたので、今日は毒親育ちなりの解釈として書かせていただきたいと思います。
「心配すること」は「呪いをかけること」
神道について私はきちんと学んだことはありませんが、「神社にお参りする時には、お願い事ではなく、神様に感謝を伝えるんだよ!」なんてことを聞いたことがあります。
とは言えです。
例えば、漁師さんのご家庭では船に乗る家族の安全祈願を、子供が受験の時には合格祈願を、家族が病気になったら病気平癒を、などなど大切な人のことを心配して神様にお参りしてお願いすることって普通に多々あるじゃないですか。
なのに、神道では「心配すること」は「呪いをかけること」になるって、どーゆーこと?と気になったので、じっくり最後まで拝読しました。
拝読した記事をざっくりかいつまんでご紹介させていただきますと、
自分の大切な人の将来や未来を、大切だから心配する、それはそうなんだけど、人の思いは現実を創造するので、大切な人が失敗したり不幸になる未来をイメージしてしまうことは「呪い」となり、本当に失敗する未来や不幸になる未来を呼び寄せてしまうので、悲劇を想像して心配することは逆効果。
だから心配するよりも、信頼し、大丈夫と信じ、その人が幸福になる未来を想像することが、大切な人にエネルギーを与えることになり、それが「祈り」なんだよ。
とのことで、なるほど~失敗や不幸を「心配する」よりも、信じて「祈る」ことの方が大切なんだなぁ~と、神道の言わんとしていることをちょっぴり学ぶことが出来ました。
と同時に、私はこの言葉を毒親である母に当てはめてちょっと考えてみたのでした。
母がよく言った「あなたのため」
私は物心ついた頃から、事あるごとに毒親である母から「あなたのため」という言葉を使われてきました。
過去の記事に書いたことがありましたが ⇑ この「あなたのため」について改めて少し書かせていただきますと、毒親である母は、私に何が何でも言うことを聞かせたい時とか、私をねじ伏せたい時に、十中八九「あなたのためを思って言ってるんだから。」という言葉を使いました。
この言葉は母にはとても都合の良い言葉でした。
なぜなら、母に先手を打たれて「あなたのため」と言われてしまうと、どんな理由があったとしても、私の気持ちや考えがどうであれ、“親がせっかく心配して言ってくれていることを素直に聞けないダメな娘”として問答無用で「私が悪い」ことにされてしまう言葉だったからです。
たとえば私が「こうしたい。」と言ったとします。
すると母は、「それはダメ、ああしなさい。あんたには出来ないから。無理だから。」と言って、その後に「あんたのためを思って言ってるのよ。」を必ず付け加えます。
するともうその時点で、母に私が反論した途端に「親がせっかく心配して言ってくれていることを素直に聞けないダメな娘」の構図が出来上がってしまい、従わざるを得なくなってしまうのです。
それと同時に「やっぱり私には無理なのかな・・・」と、心の中で諦めさせられていました。
母の「あなたのため」は「呪い」だった
母が私によく言ったこのような「あなたのため」が、絶対にあり得ませんけど百歩譲って本当に母が私のことを心配して言ってくれていた言葉だったとしましょう。
だとしたら、親が本当に心配してくれていたのに未だに「ツラかったな…」とネチネチ思っている私は、完全なる親の心子知らずで、いい年して親不孝者な娘ですね。笑
でも、これを神道の「心配すること」に置き換えてみると、母の心配と「あんたには出来ないから。無理だから。」という言葉は、完全に私に「呪いをかけること」になります。
実際、母の「あなたのため」という心配する言葉で、私は私の人生で諦めてきたことが数えきれないほどあったのですから。
なので、毒親育ちの私にとってみれば、母の「心配すること」が本心であったとしても本心ではなかったとしても、どちらにせよ、私にとっては「呪いをかけること」だったなぁと、ものすごく腑に落ちましたね。
なんか、いつまで経っても毒親の母への嫌悪感が消しきれない自分に対して罪悪感が付きまとうけど、「そうか~私は呪われていたんだなぁ~、呪われていたんだったら私が悪いわけじゃないよね!笑」と思えたら、ちょっぴり気が楽になりました。
神道に助けられたのかな。
今度、神社にお参りすることがあったら「応援しているチームが勝ちますように!」とか「宝くじ当たりますように!」ではなく、ちゃんとお礼を伝えたいと思います。
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