もう15年以上前になりますが、藤田香織さんの本に出会い、毒親の後遺症みたいなもので苦しんでいた私は勇気をもらいました。
藤田さんは別に毒親育ちに勇気を与えようと思って書かれた本ではないはずですけど(笑)、私にとっては色々と目からウロコな本で、気持ちも軽くしてくれました。
だらしな日記
その本は、2003年の10月に幻冬舎文庫から出版された藤田香織さんの「だらしな日記」でした。
そして、この本に私が出合ったのは出版から2~3年後の今から17~8年ほど前で、私が30代半ばの頃でした。
著者の藤田香織さんが、自分の暮らしぶりを赤裸々にユーモアたっぷりで書いていてとても面白くて、エッセイ第二弾の「やっぱりだらしな日記+だらしなマンション購入記」も読みましたが、蕎麦屋の帰りに衝動買いしてしまった100平米のマンションの話には度肝を抜かれつつ、笑いがこみ上げてくるような1冊でした。
「だらしな」は「自由に生きられる人」
藤田さんは自身の性格を「だらしな」と言われていますが、私が受けた印象としては、だらしなと言うより「自由に生きられる人」だなと思いました。
とかく世の中的にだらしないと言われることとか、女性なんだから~みたいに言われることが存在すると思うんですけど、そーゆー誰かが勝手に決めたり思い込んでいるものさしに振り回されることなく、自由に過ごせる人なんだろうなと感じたのです。
それには理由がありまして。
私は今でこそ自分でも反省せざるを得ないほどのぐうたらになりましたが、この本に出合った当時30代半ばの頃は、結婚して実家からも出ていましたたが、毒親である母と暮らしてきた中で植え付けられてきた「躾」と言う名の「母が決めた絶対従わなければならないルール」が身に沁みついていて、生きにくさを感じていた頃だったのです。
何かと好きに自由に動けないでいる私に、夫も「好きにしたらええよ」と日々言ってくれていましたが、それでもなお、コレはこうしなければならない、アレはこうするのが普通である、コレはこうするべき、子供の頃から叩き込まれてきた「母が決めた常識」が人一倍、いや、人何十倍多くて、そのルールに縛られて過ごす日々がどうにもしんどくて。
それらの呪縛を「それは別に気にしなくて良いのでは?」「別にやらなくてもイイね。」と自分の心で考えて1つ1つ溶きほぐし、自分を許してあげる作業をしていた頃だったので、だらしな日記を読んだ時は、ああ~この人だらしないな~っと思うよりも、私ももっと自分の思うように暮らしてもイイんじゃないかなと思えたのです。
ちょっと大袈裟な言い方をすると、ある意味、自由に行動する勇気をもらった本でした。
今でも、人生の中であの時の私がこの本に出合えたことはタイミングが良かったなと思いますし、出会えて良かったなと思える本です。
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