子供はいない人生を楽しんで生きていけたら、それでいい。

エッセイ

私たち夫婦には、子供はいません。

これまで子供の事について夫婦で話をしたことはもちろん何度かありましたけど、結婚当初から私たち夫婦は一貫して

「子供は授かったら授かったで良し」

「子供は授からなかったら授からなかったで良し」

本当にどちらでも良かったのです。

ただ、私は30代の半ばで子宮筋腫の摘出手術をしたことがあるので、術後に先生からの提案で「手術の影響で卵管が詰まってしまったりしていないか?」とか「術後1年で子宮が妊娠した場合に耐えられる状態に戻っているか?」などの検査をしてくれて、ついでにと言ってはなんですが夫にも問題無いか検査してもらったことはあって、検査結果は夫婦共に問題はありませんでした。

だから、不妊治療もしなかったです。

その結果、私たち夫婦は子供は授からなかった、と言うだけのことです。

これは自然の流れの結果として受け止めています。

 

たま~に子供がいないことを他人から勝手に可哀そうがられることもありますが、本当に正直な気持ちとして、子供がいないことを悲しんだりもしていないのです。

何だったら、これで良かったのかもねと思ったりもしています。

なぜなら、私は母とは違う人間ですが、私が知っているのは、母が私を育てた子育ての仕方だけです。

近所に親戚などもいなくて、他の家庭の子育ての様子を見る機会も無く育った私は、母が私を育てた子育ての仕方しか知らないのです。

私が20代半ばを過ぎた頃、社会人として一人の人として成長する私に365日イライラを募らせていた母から、ある日突然「死んでくれ!頼むから死んでくれっ!」と言われた事があります。

その時の私は、既に母に対して「何とか親子関係を良くしたいと努力しても無理なんだな」と悟っていたので、慌てて母の機嫌を取るような事もせず「死んでくれと言われましてもね~…」くらいな気持ちで何も言い返したりもせず、ただ黙って自分の部屋に戻ったのでした。

ただ、その時の母の言葉は、年齢を重ねても私の記憶から消えてくれないばかりか、その言葉の威力が増しているように感じています。

何か悪い事をしたり迷惑をかけるような事をしたわけでも無いのに、私が素直に母の家来にはならないことにイライラされ続けて、実の親に死んでくれと言う言葉を投げかけられた一人娘の気持ちは、やっぱり悲しさと虚しさが残りました。

 

だから、もしも自分が親になったとしたら、母みたいにはなりたくないと思いましたし、そうはなるまいと思う気持ちもありました。

けれど可能性として、私の子育ての仕方が、母が私にしてきた子育ての仕方に似てしまう可能性は、ゼロではないと思いました。

だって、実際問題、私は毒親の母の子育ての仕方しか知らないのですから。

だから、万が一にも私が子供に向かって「頼むから死んでくれ!」と言ってしまう日が来るのならば、 私は親にならなくて良かったです。

こんな悲しさや虚しさを確実に連鎖させないためにもね。

そんな色んな思いがありつつも、なんだかんだで夫婦二人だけの人生も楽しいです。

夫が子供について私と同じスタンスでいたこも、幸いでした。

人生観なんて、本当に人それぞれ。

これから先も、自分たちが選択した人生を楽しんで生きていけたら、それでいい。

それな!!!

スポンサーリンク

コメント

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました