前回の【本当にたたかったお嫁さま】その45.「結婚式を間近に控えた花嫁の気持ち
」では、
2000年11月中旬、物心ついた頃から毒親の母に苦しめられてきた私の結婚の前の気持ちはとても明確で、両親の元から旅立つ寂しさも無ければ、残念ながらしみじみと両親に感謝を伝えられるような状況でもなく、「実家と両親の元から離れられてカレと一緒に生きて行ければ、それでいい。」と、ただひたすらそれだけを願って耐え忍んでいるような感じでした。
そして11月下旬に差し掛かる頃、母とは相変わらず会話も出来ないまま、いよいよ引っ越し前日になりました。
祝福ムードなど1ミリもない、旅立ちの前日。
そんな時、小学校からの同級生から1通のメールが届きました。
今日はそのへんのお話をしたいと思います(^^)
結婚式の20日ほど前の11月下旬、私はいつものように仕事を終えて帰宅してから、自分の部屋で粛々と翌日の引っ越しのための荷造りの仕上げにとりかかっていました。
母は相変わらず私のことは完全無視で目も合さず言葉を交わすこともなく過ごしていたし、父は仕事で少し帰りが遅くなって家にいなかったので、私としては今更悲しいとかそんな気持ちにもならなくて、もう仕方のないことだと諦めはついていたのですが。
想像するに、娘が実家から旅立つ日の前日なら、普通の家庭であれば家族揃って子供の頃とかの思い出話の一つでもしながら食事をするんだろうなぁとか思うと、私の旅立ちなんて、なんともまぁ呆気ないものだなと、そこはかとなく虚しい気持ちで作業を続けていました。
するとその時、ケータイに同級生からメールが届きました。
彼女とは小学校から高校まで同じ学校に通っていましたが、お互い社会人になって大人になってから色々とお互いの家庭の問題を話せるようになった人で、当時の私の苦しい状況を一番知ってくれていた人でした。
その同級生が、私が引っ越して地元を離れる前の夜、今でも忘れる事のない一生の宝物のような言葉をくれました。
人が持っている幸せの量は、みんな同じと聞きました。
これまで君は、しなくていいはずの苦労をいっぱいしてきたから
これからはその分、いっぱい幸せになりなさいね。
自分の部屋で1人ポツンと荷造りをしていた私は、このメールを、何度も、何度も、読みました。
そして「そうか…。私って、しなくていいはずの苦労をいっぱいしてきたんだな…。」と改めて気付きました。
それと同時に、理由は分かりませんでしたが父から(おそらく母が父に「なばなに言っておけ!」と言ったのでしょうけど)「親戚には結婚することはまだ言うな。」と言われていたので、親戚は私が結婚することを誰も知りませんでしたし、両親とは相変わらずな関係だったので、私は身内の誰からも「おめでとう!」とか「幸せになりなさいね!」という言葉をいただいたことが無いままでいたものですから、同級生からの心からの「いっぱい幸せになりなさいね。」と言う言葉は私が初めていただいた祝福の言葉であり、それはもう、とてつもなく温かい言葉でした。
だから、こうやって祝福されないまま実家から旅立つ荷造りをしていても、私はこれから幸せになればいいんだなと思えて、笑顔になりつつも自然と涙がこぼれてきたのでした。 ~ つづく ~
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