私が知人の話を聞く理由

エッセイ

知人から電話がかかってくる時

昨日の夜、お久しぶりの知人から電話がかかってきました。

電話に出ると、「あ、なばなちゃぁ~ん?」と言う知人の第一声を聞いただけで、どことなく元気が無さそうな様子を感じ取ったのですが、一応まずは気付いていないふりをして挨拶がてら「久しぶり~、元気~?」と聞いてみたものの。

知人は即答で「ううん、元気じゃない~(--;」

うん、やっぱりね、元気なさそうだもんな(^^;と心の中で思いつつ、知人の話を聞いたのでした。

ところでこの知人は、だいたい年に3~4回くらいのペースで電話をくれる人です。

ですが、近年は知人も色々と大変なことが重なってしまったようで、電話がかかってくるイコール十中八九なにか大変なことがあったとか、つらいことがあったとか、そのような場合に電話がかかってくる感じです。

 

私が離れることを選択した人たちとは

ところで、このブログの過去記事でも書いたことがあるのですが、私は過去に自分から離れることを選択した人たちがいます。

毒親育ちの私には、毒親育ちならではの特徴がありました。 ⇩

数ある毒親育ちの特徴の中の1つに「自己犠牲」と言うものがあって、これが私の毒親育ちの特徴で、自分よりも他人を優先してしまっていました。

毒親の母がいる家庭環境で育ち私自身がつらくて苦しかった分、他人が落ち込んでいる時とか大変な時など敏感に察してしまい、そして、私に出来ることがあれば手を貸してあげようと思っていました。

例えば、電話がかかってくれば、深夜だって、次の日も仕事だって、何時間だって、付き合って話を聞きましたし、そうやって何事も自分の時間や都合よりも他人のことを優先させてしまいました。

その結果、私は友達にとっていつの間にか「頼めば引き受けてくれる人」「いつでも好きなだけ話を聞いてくれる人」になって、次第に「やってくれるのが当たり前」の存在になり、感謝もされなくなり、気付けば「都合の良い人」になっていて、心のゴミ捨て場にされていました。

その事に30代の半ば頃に自分で気付いてからは、私が他人にさいてあげている時間や気持ちを当たり前と思っているような人とは、少しずつ距離を置いて、離れました。

 

私が知人の話を聞く理由

そのような経験をした私なので、本来であれば、十中八九なにかよろしくない事があった時に電話がかかってくる知人とは、距離を置くはずなんです。

それなのに、どうして私はこの知人の話を聞くのか。

その理由は、知人がそのへんの事をちゃんと自覚してくれている人だからです。

「ごめんね、いつもこんな時ばかり電話しちゃって。でも、しんどくなると、いつもなばなちゃんの顔が浮かぶの…」

この一言です。

このたった一言だけで、私が知人にとって都合の良いただのゴミ捨て場にはされていないと分かるからです。

知人は愚痴めいたことを人に聞いてもらえることを当たり前ではなくちゃんとありがたい事だと思える人で、私にも「ごめんね」と謝ってくれたうえで、一方的にではなく話をされるので、それなら私も「話を聞く事しかできないけど、話を聞くよ。」となるわけです。

私のことを無意識に都合の良い人にしていた人たちとは、雲泥の差です。

小さなことのようだけど、意外とそれが出来る人って多くないと思うのです。

これって、大切なことなのよね。

エッセイ

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