私は子供がいないので最近の子供たちの学校事情などはよく分かりませんが、最近は中学受験も珍しくない時代になったのではないでしょうか。
私が小学生だった頃は、ほとんどの子供たちが地元の市立や区立の中学へ行く時代で、高みを目指して中学から受験して私立中学へ進学する子は、クラスに1人か2人程度でした。
そして、私も当たり前のように地元の市立へ行く予定でしたし、それ以外の選択肢は両親からも与えられてはいなかったので、高校は受験して入学するものと知っていましたが、中学受験なんてものはどこか遠い誰かの話くらいの感覚でいました。
友達に塾に誘われる
そんな私が小学5年生のある日、友達から「一緒に塾に通わない?」と誘われました。
それまで塾に行くことなんて1度も考えたことが無かったので、そのお誘いにはちょっと驚きましたけど、「高学年になったから、友達は学校の成績を良くするために頑張ろうとしているんだな。」と思いましたし、友達に誘われたのも嬉しかったので、とりあえず両親に塾に誘われた話をしてみました。
すると、当時から度を越して厳しくて私がやることなすこと何かと反対をする親(主に母)でしたが、母も私の成績が上がるならまぁいいかと思ったようで、意外とすんなりOKが出ました。
こうして、親のOKが出たので翌日に友人に「塾行っていいってぇ~」と伝えたところ、友人が後から「塾に入る前にテストがあるんだ~」と言ってきて、塾に入る前にテスト?塾に入る生徒の勉強のレベルをチェックする…てことなのかな?と思いましたが、私は深く考えずに「へぇ、そうなんだぁ~」くらいな気持ちで、塾のテストを受けに行ったのでした。
後から知った塾のテストの意味
今にして思えば、これが全ての間違いの元でしたね。
塾のテストを受けた後日、塾から郵便物が届きまして、封筒を開けると「合格」の文字が。
ん?合格?何の合格?
最初は意味が分からなかったのですが、どうやら塾のテストは生徒の勉強のレベルを知るためのものではなくて、塾に入るための入塾テストで、なぜか私は合格してしまったのだと後から知りました。
そして、もちろん合格していた友人と一緒に同じ塾へ通うことになったのでした。
その塾は、ちょっと年配の奥様が自宅の一室を勉強部屋に改築してやっているようなこじんまりとした塾で、場所的には私の家の近所にありました。
なので、友人の家からはちょっと離れた場所にあったので、なぜ友人はこんなに家から離れた所にあるこじんまりとした塾の存在を知っていたのか?
何でこの塾に通おうと思ったのか?
と気にはなりましたが、とにもかくにも、私はこうして友人と同じ塾で勉強することになったことが嬉しかったです。
地獄の始まり
ところが、いざ塾へ通い始めてみると、同じ小学校の同じ学年だけど話したこともない違うクラスの子たちと塾で同じクラスになり、「何でみんなこの塾に?」と驚きましたが、答えは授業が始まってすぐに分かりました。
この塾、進学塾だったのです。
先ほども書きましたけど、高みを目指して中学受験して私立中学へ進学する子なんてクラスに1人か2人程度で、学年の中でも数人いる程度だった時代で、その数人のほとんどの同級生がこの塾に集結していたと言うわけです。
そして後から、友人も中学受験するのだと聞きました。
私はもちろん大多数の中の1人で中学受験をするなんて話も出ていなければ思ったこともなく、地元の市立中学へ行くことになっていたので、小学校の低学年の頃から親の方針で中学受験の話をしてきて中学受験用の勉強を進めてきていた同級生たちとは、入塾した段階で学力にはすでに雲泥の差があって、塾へ通い始めた初日から私は信じられないくらい落ちこぼれの生徒になってしまったのでした(--;
塾でやっている受験用の勉強は、小学校では習ったことも聞いたこともないものばかりで、塾では毎回テストがあって、それをいとも当たり前のように解いていく塾の同級生たちに焦りまくりました。
そして、採点されて散々な結果のテストが返されて、塾へ行く度に気持ちは惨めになるばかり。
後になって、小学校の同級生でこの塾の入塾テストを受けたけど落ちてしまった人もいたと聞いたけど、ほんとうにもぉ~、なぜ私が受かって「しまった」のか・・・この時に落ちてくれていたらと今でも思っています。
怖くて言い出せなかった
こうして、塾へ行く度に毎回散々な結果のテストを返され続けましたが、私はそのテストを両親には見せることが出来ませんでした。
なぜなら、友人に誘われたとは言え、塾に行ってみたいと言い出したのは私自身です。
それなのに結果を出せないなんてことを、到底理解もしてくれなければ許してもくれない母だと分かっていたからです。
母もおそらく塾が進学塾だなんて知らずに、塾へ行くOKを出したと思います。
それに、たとえ後から実は進学塾だったと知ったところで、母は進学塾だろうがなんだろうがそんな事情や理由は関係なくて、きっと「勉強についていけていない自分の娘」と言う結果だけを見る人だから。
でもある日、親に見せられずに隠していたテストの束を発見されてしまいました・・・
そして、私が怖れていた通り、本当にもう最悪でしたね。
案の定、母は私に事情や理由を聞くような事はせず、散々な結果のテストの点数だけを見て怒りを爆発させて「情けない!恥ずかしい!」と言いながら私の顔に平手打ちを繰り出してきて、私は腫れあがる頬の痛みに耐え続けたのでした。
こうして私は、途中で塾を辞めることも許されないまま、落ちこぼれのまま、週3回の塾から帰宅するとテストを親に見せなければならなくなり、その度に情けないだの馬鹿だのグチグチ言われて過ごしたのでした。
塾が終わって、心身ともに疲れて外に出るとすっかり夜で暗くなっていて、家に帰っても辛いなと思いながら夜道をトボトボと歩いてふと夜空を見上げれば、そこにはオリオン座がキラキラと輝いていて、何だかホッとしたのです。
ああ、綺麗だな・・・塾の帰り道の度に、立ち止まって夜空を見ていたのでした。
【毒親の特徴】子供の言い分を聞かない
この塾のことは今でもつらくて悲しい思い出となっていますが、この歳になって冷静に振り返れるようになってみれば、色々と考察ポイントがあるなと気づきます。
毒親の毒親たる数ある特徴の中の1つに「子供の言い分を聞かない」と言う特徴があると言われています。
そもそもですね、自分で言うのもなんですが、でも言っちゃいますけど(笑)、小学校ではそれなりに普通の成績だった私です。
しかも、なんの受験勉強もしていなかったのに、知らずに受けた進学塾の入塾テストに受かっただけでも、普通くらいは勉強も出来ていたと思うのです。
それなのに、母はどうして急に私が落ちこぼれのようなテストの点数しか取れなくなったのか?と疑問に思うこともなく、「このテストの点数はどうしたの?」と聞くこともありませんでした。
そして、目の前のテストの結果だけに怒りを爆発させて、暴力をふるいました。
ここで私が反省すべきは、テストを隠していたこと、親に見せなかったこと。
この2つは完全に私が悪かったですし、申し訳なかったと思う気持ちもあります。
でも、どうして私がテストを隠して見せなかったのか?の理由について、母は「なぜ隠したの?」と言う質問は一切しませんでした。
とにかく母の中では、落ちこぼれた挙句にテストを隠して親に見せなかった私が全て悪いのです。
そして、テストを隠して見せなかった後ろめたさがあったからこそ、小学生の時の私は何も申し開きも出来ずに、ただただ母の平手打ちを甘んじて受け続けたのでした。
自分のために少し立ち止まって考えてみる
子供って、特に毒親育ちって、基本的にいつも自分が悪いことにされてしまうし、そうやって育てられてきたからいつも自分に自信が無いし、親が正しいと植え付けられて育ってきたから、事情を説明したり理由を話したりすることもなかなか出来ないと思うんですよね。
だからこれはちょっと難しいことかもしれないのですが、親といるとなぜか苦しいと感じる人は、ちょっと自分の気持ちに目を向けてあげて、本当に私が悪いのかな?そんなに私の気持ちや考えは悪いことなのかな?親の言うこととは言え本当にそうなのかな?と、少し立ち止まって考えてみるようにすると、何か本当の自分が見えてくるかもしれません。
自分のために少し立ち止まって考えること、忘れないで欲しいです。
そして、そんな人に1冊、お勧めの本があります。
親といるとなぜか苦しい 「親という呪い」から自由になる方法
著者:リンジー・C・ギブソン 監修:岡田尊司 翻訳:岩田佳代子
私は、この本のタイトルの通りの自分であることと、本の表紙に書かれている「家庭環境は平凡です。だけど親が嫌いです」と言う言葉がまるで自分のことのように感じて、電子書籍で読みました。
毒親育ちのつらさや虚しさや、苦しさの原因、共感できることがたくさんあって、勇気づけられる本でした。
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