毒親育ちそれぞれの答え

毒親について

私はこのブログの『毒親について』と言うカテゴリーで、毒親と言うものの特徴についてや、その特徴を踏まえて私の母の場合はどんな感じだったかなどの経験談を書いているのですが、今回ちょっと違った観点で毒親について考える機会があったので、記録として残しておきたいなと思います。

「毒親育ち」と公言されている人

実は先日、友人でも知人でもなくて今後会うこともない人なのですが

「自分は毒親育ちです」

と公言されている方とちょっとだけお話する機会があったんですね。

これまで私は、母が毒親だと気付いていなかった頃にあまりにも辛い状況を何とかしたくて、話を聞いてもらっても大丈夫そうかなと思えた同級生や知人にだけ軽く相談してみたことがありましたが、相談してもかえって辛くなるだけだと分かってからは、人には話さないようにしていました。

でも今回は、自分から毒親育ちなのだと公言されている方だったので、思わず「実は私も…(^^;」と、あまりためらうことなく話せてしまいました。

腰を据えてじっくり話をしたわけではありませんでしたが、思いがけず毒親育ち同士で話せる機会があったことは、私の中では新鮮な経験でした。

そして、毒親についてこんなにもオープンにしていて、しかも、今後の毒親との関わり方についても明確にされていて、年老いた親との今後のことで何も決められず迷走している私にとっては、色んな意味で興味深かったです。

毒親育ち同士の意見交換

過去に毒親のもとで何があったかなどの詳しい話はお互い殆どしませんでしたが、同じ毒親育ちで気持ちが分かる部分も少なくありませんでした。

まず最初に意見が一致したのは、

誰かに意を決して相談しても、『子供が可愛くない親はいないよ』って言われてしまうのは辛かったですね(^^;」

と言うことでした。

誰にも分かってもらえないことが辛かったのは私だけではなかったんだなと知って、同じ辛さを経験した人が実際に目の前にいて、なんと言うか、「自分だけじゃない」ってそれだけで、何となく心強くなりました。

そして話題は、毒親との今後のことを少々。

私自身は、両親も高齢になってきたので、そろそろ近くで暮らした方が良いかな?良いんだろうな?っと頭では分かっていても、夫との穏やかな暮らしが壊されてしまうかもしれない怖さがあって、「近所に引っ越しておいでよ」とは言えない自分がいます。

そして、言えないでいる事への罪悪感も。

軽くそんな話をしたら、その方は「私は仮に両親が入院しても、事務手続きはするけどそれ以外はしないです~」とキッパリ

加えて、「看護師の友達から『危篤の時の電話は無用で親の心臓が止まってから電話してほしいと言う人は結構いるよ』と聞かされた時、表に出ないだけで世の中はこういうことも現実に結構あるんだなと、安堵した記憶があります。」とも言っていました。

このような話は、きっと世の中的には「親不孝者」とか「酷い話」になるのでしょう。

でも私には、そう看護師さんに伝える人の気落ちも分からないでもないのです。

そう思わざるを得ない程のことをされてきたのだろうと思うのです。

だから毒親育ちの親とのゴールと言うものは、何が正解とか何が正しいなんてものは無くて、人それぞれなんだなぁと改めて思ったのでした。

答えを出せない自分もあり、かな?

後日になってふと「それじゃあ、私の親とのゴールはなんだろ?」と考えてみたんですけど、やっぱり私、今すぐにハッキリとした答えは出せないんですよね。

たぶん私は、この先もその方のようにキッパリ絶縁するようなことも出来ない、と言うか、絶縁はしないでしょう。

だからと言って、過去のことと割り切ってスッキリ水に流すことも出来ないでしょう。

でも、例えそうだとしても、ゴールは人それぞれなんだなぁと思ったら、そんなどうすることも出来ないままの自分も、もしかしたらありなのかな?なんて思えてきました。

そして最後にその方の考え方として聞かせていただいたのは

「『親』って言葉で本質がぼやけがちだけど、親の前に『人』って単位で考えるようにすると、例えば、自分を大切にしてくれた人には親切にしたいと思うし、嫌がることする人がいたらそんな人を助けてあげたいと思えるか?で、私は嫌がることをする人とは距離を置きたいと思うので、近づきません。」と。

なるほど。

そう考えられれば、私も少しは「親だから…」に縛られて振り回されることも減るかもしれないと思いました。

同じ辛さを知っている人と話せたこと、ありがたかったですね。

ちょっとした会話でしたが、言葉がとても心に響きました。

スポンサーリンク

コメント

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました