そんな親もいるのです

毒親について

6月1日からブログを始めて、今日で3ヶ月経ちました。

明日からいよいよ4ヶ月目です。

まずはご挨拶(*^-^*)

何となくなんですけど、私の中で3ヶ月って、1ヶ月目、2ヶ月目よりも、ちょっとした「一区切り感」があります。

石の上にも三年の1/10バージョンとでも言いますか、

「おおっ?!3ヶ月間ブログ書き続けられたじゃん、私!」

なーんて、やっぱり嬉しいですしね。

ちょっぴりだけど、自信も持てたような気がします。

そして、この3ヶ月間、まだまだ駆け出しのこのブログに訪れてくれた方々、記事を読んでくれた方々、本当にどうもありがとうございます。

「友達と茶をしばきながら雑談するような気分」で読んでいただけるような、そんなブログにしていけたらいいなぁ~と思っております。笑

文章力もなくて、自分以外の人に伝えたいことを伝えたいように伝えると言うことの難しさを実感している毎日ですが、引き続き、気長にお付き合いいただけましたら幸いです。

毒親の毒を知らない人は幸せだと思う

では、今日の本題に入りたいと思います。

私は「なばなぶろぐ」を始めてから、『毒親について』と言うカテゴリーで両親との暮らしで私が経験した事や気持ちなどの実体験を踏まえながら、毒親について少しずつですが記事を書いています。

でも、これまで読んでくれた方の中には、もしかしたら、毒親?あまりピンとこないな~?と思った方もいたかもしれません。

もうちょっと具体的に言いますと

  • それくらいの事を辛かったとか言うのって、大袈裟じゃない? とか。
  • あなたのためを思って親は言ってくれてると思うよ? とか。
  • 気にし過ぎじゃない? とか。
  • 子供が可愛くない親はいないよ? とか。

そんな印象を持たれた方もいたかもしれないなって思っています。

でも、もしそう思った方がいたとしても、私も分かるような気がします。

なぜなら、親が子供に向ける毒と言うものを知らず愛されて育った人は、その毒の存在すら知らないからです。

「親の言動の裏に隠れている毒」に気付かないと思いますし。

親の正しい愛情を受けて育った人ほど、話を聞いてもにわかには信じられないと思いますしね。

何事も、実際に経験したことが無ければ、分からなくて当然だと思うからです。

とても幸せな人だなって、羨ましく思います。

今の私なら、素直にそう思うことが出来ます。

昔は辛かった言葉たち

でも私は、「自分の親が毒親である」と分からないまま実家で一緒に暮らしていた頃とか、親のことを少し客観的に見れるようになった最近になるまでは、上記の様に思われたり言われたりするとで、正直さらに辛さ増し増しでした。

考えても考えても意味が分からない日々の母親の言動の原因やヒントが何か分かればと、藁をも掴む、意を決して、まさにそんな気持ちで同級生や知人に相談したことがこれまで数えるほどですが数回ありました。

自分の親のことを、ましてや、良い話ではないことを他人に話すのって、けっこう勇気がいることでした。

「だったら話さなければいいじゃない?」

そう思われるかもしれないけれど、それでもなお、辛い現状を何とかしたい一心で、藁をも掴む、意を決して、話をしたのです。

でも、いただいたのはどれも上記のようなニュアンスのお言葉でした。

そう言われてしまうと、私は何も納得出来ないまま「そうかな(^^;そうだよね(^^;」と返事するしかありませんでしたね。

だって、相手に「私の気持を分かって欲しい」と押し付けても仕方ないからです。

それに

  1. 分かってもらえない辛さ
  2. そして、親の悪口になるような事を他人に言っている罪悪感
  3. さらに追加される「そんな親はいないよ」と諭される罪悪感

で、辛さ増し増しってわけです。笑

辛い時に理解してもらえる人がいないと言うのは、それだけで八方ふさがりで孤独だったなぁと、今でも思います。

 

なので、もしも皆さんの周りに毒親のことで苦しんでいる人がいたとしたら

「そんな親はいないよ」とか「気にし過ぎじゃない?」

ではなく、話にちょっと耳を傾けてあげて

「へぇ~、そんな親もいるもんなんだね。」

その程度で良いのでね、この世の中にはそんな親も実際にいるのだと知ってあげてもらえたらいいなと、すっかりおばさんになった毒親育ちの一人娘は思います。

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