毒親育ちのおばさんのちょっとした決意表明

エッセイ

50代にもなってこんなことを言うのも手遅れ感満載な話なんですけど(^^;実は私、自分がどんな人間なのか?たぶん自分でもよく分かっていないと思うんですよね。

と言うのも、自分の中では「こうすれば、きっとこうなって(良い結果になって)くれるだろう」と思って行動しても、最終的に自分の思っていたようにはなれないことがほとんどでした。

例えば、人間関係とか、何かをやってみた結果もそうですし、親子関係もそうでした。

それでね、自分の思っていたようにはなれなかったとしても、それが別の形でも自分にとって良い結果になってくれたならまだしも、自分が望んでいなかったような終わり方になってしまいがち。

っと言うことはですよ、私は私のことがよく分かっていないから、自分で自分にとってより最善な行動を見つけられないんじゃないか?と思ったのです。

 

それじゃあ「何で私は自分のことがよく分かっていないのか?」と、強風吹きすさぶ昼下がり、茶をしばきながら「(-ω-;)うーん?」としばし考えてみました。

それで思ったのは、何もかも親のせいにするつもりはありませんけど、それでもやっぱり、私は私の両親に育てられて生きて来てたわけで。

無意識のうちに毒親である母に叩き込まれてきた生き方のルールがあって、その影響が全く無いはずはないだろうと思うんですよね。

 

私がまだ、自分は親に愛されていると信じて疑うこともなくて、母が毒親であることも世の中のことも何も分かっていなかった、幼少期。

たぶんこの頃の私が人生の中で一番、私は私として生きていたような気がします。

何も疑っていないから、私が両親の娘であることが当たり前と思って、私は私のままで生きていたでしょうし。

何も知らないから、何の忖度もなくありのままで生きていたでしょうし。

 

だけど私が成長するにつれて、例えば、親に愛されているはずが「お前が生まれてからこうなった!」とか「○○してやったのに!」とか言われ続けて「愛されてないな」と子供ながらに悟ってから、親でさえ心から信じられる存在ではなかったのですから、人を信じることはなかなかに難しいですし。

例えば、何かに参加したり参加したいと言えば、母からは「出しゃばりな子供」と言わて育って、いつしか私は人前に出ることも何かに参加することも悪いことだと思わされていて、今ではすっかり人付き合いも得意ではない人間になりました。

こうやって、元々の私を打ち消されながら生きて来た結果の、今の私です。

それはもう、私が本当はどんな人間なのかなんて分からなくなっているのも、素の自分が出せないのも、当たり前と言えば当たり前なのかもしれません。

 

そうと分かったのなら、今から、これから、素の自分で生きてみて「自分がどんな人間なのか?」を知って行けばいいのでは?と考えてみたりしましたが・・・

本当に正直に言ってしまうと、もう何十年も自分を押し殺して生きて来た人間にですよ、いきなり「素の自分で生きようよ!」と言い聞かせてみても、それが出来たら苦労しないと言いますか、もう染みついた自分ってものもいますからねぇ、今更難しいというのが本音です。

だから私、たぶんこれからも、自分の中で「こうすれば、きっとこうなって(良い結果になって)くれるだろう」と思って行動しても、最終的に自分の思っていたようにはなれないことが多い人生だと思います。

でも、若かった頃は、自分の思っていたようになれなかった時は、ガッカリしたり悲しかったり、その先がちょっと大変な事になったりするのが怖かったですけど、もうね、私ももう50代になったことですし、半分開き直りと半分は諦めで、それならそれでいいやと受け入れられるような気がするんですよね。

だって、良くも悪くも他人に左右されることが減って来ましたし。

それに、私が悪意を持って何かをしてきたとかではないのですから、思っていたようになれなくても、それはそれ、ってことではないかと。

 

ま、あーだこーだ書かせていただきましたが、私は自分がどんな人間か分からないしたぶんこれからも分からないだろうけどそれを受け入れてみようと思います!と言う、毒親育ちのおばさんのちょっとした決意表明でございました。笑

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