今日は、天気予報では一日曇りの予報だったので、曇りならまあいいかと帽子もかぶらずにふらりと買い物に出たところ、雲間からいきなり太陽が「ヤッホー!ギラギラだよぉ!」と言わんばかりに顔を出し、じりじりと照り付ける強い日差しの直撃をくらってしまった私。
帰宅して、急いで食事の支度をし、テレワークで家で仕事をしている夫と昼食を済ませたところで電池が切れてしまって、夫が昼休みの時間を終えて仕事部屋に戻った途端に、私はリビングの座布団の上に芋虫のようにコロンと寝転がって、そのまま居眠りしてしまいました。
年齢を重ねるごとに、強い日差しを浴びると体力が奪われてしまうようになってきて、ほんと、自分でも情けなくなるほどグッタリなのです。
運動したわけでも、家事を頑張ったわけでも、1日楽しくお出かけしたとかでもなく、ただ強い日差しを浴びただけでこの疲れっぷりは、どうにも不本意です。
そう思うと、父方の祖父は高齢になっても、田んぼに水を入れ、土を砕いて均平にして、田植えをして、稲を育て、秋には稲刈りをして、 お米を収穫していたのですから、お米作りの大変さにだけでなく日差しを遮る場所も無い田んぼでの作業をしていたことに、この歳になって改めてその凄さを感じます。
ところで、私が子供の頃って、世の中のおじいちゃんおばあちゃんたちの中には「病院なんて1度もお世話になったことないよ( *¯ ꒳¯*)ドヤァ」とか、「病院なんて嫌いだから1度も行ったことない!( *¯ ꒳¯*)ドヤァ」みたいな人がけっこういたような気がします。
子供の頃はそんな話を聞いても、自分自身もまだ子供で健康なのも当たり前って感じだったので、それが特別凄いことだと結びつかなくて「へぇ~そうなんだ~」くらいにしか思いませんでしたが、自分がこの歳になって今その言葉を思い返してみると、高齢になっても病院に行ったことがないなんて度肝を抜かれますし、病院に行かずに元気に過ごせているのも驚嘆します。
と同時に、いつも病院にお世話になっている自分がちょっと情けなくなったりもします。
50代になって急に血圧が跳ね上がった時に様々な検査を受けることになって、検査を受ける度に「もしかしたら病気が見つかるかもしれない」と言う恐怖を味わい、結果が出るまで生きた心地がしなくて、検査結果を聞いて心底ホッとして、を何度も繰り返したことで、「私もいつ病気になるか分からない」と言うことを身をもって体験したのです。
それからですね、私が自分の健康にすっかり自信がなくなったのは。
それに加えて、強い日差しを浴びると体力を奪われてしまうような、年齢を重ねるごとにちょっとしたことでダメージを受けるようになったことで、さらに健康に自信がなくなります。
その結果、以前は人間ドックや市の検診も気が向いた時だけしか受けていなかった私でしたが、近年は定期的に検査を受けるようになり。
ちょっとした体調不良でも心配になって、病院へ行くようになり。
こうして私はますます病院にお世話になる回数が増えています(^^;
子供の頃にいた健康にめっちゃ自信を持っていた世の中のおじいちゃんおばあちゃん達に今の私の状況を話したら、「あなた、病院がほんと好きだねぇ!」なんて言われて笑われてしまいそうですね。笑
でも、自分の健康に自信がなくなったことで、ちょっと良いこともありました。
ややこしいことを言いますが、私は「自分の健康に自信がなくなった」おかげで、「今は健康」と思えています。
自分の健康に自信がないから ⇒ 定期的に健康診断を受けるようにり ⇒ 体調不良も放置しないで病院へ行くようになったので ⇒ 今現在の自分の体の状態(問題はないこと)を把握しています。
つまり、「たぶん私は健康よね」と思っているだけで病院へ行かなかった頃よりも、今の私の方が「今はひとまず健康である」とはっきり言えるのです。
だから私は、子供の頃によく見かけた病院のお世話にならない元気なおじいちゃんおばあちゃんたちのような、めっちゃ健康に自信があるおばあちゃんにはなれないけれど、「健康に自信がない方がいい」ってこともあるかもしれないなと思ってみたりしています。笑
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