【毒親の特徴】過干渉・監視(私の母はこんな感じでした(後編))

毒親について

昨日は、【毒親の特徴】過干渉・監視(私の母はこんな感じでした(前編))と言うことで、私が毒親である母に実際にされた話を例にあげて、過干渉や監視や束縛される日常がどんなものなのかを、ご紹介しています。

昨日は電話にまつわる話の1つめとなる「家の固定電話(家電)」について書かせていただきましたが、今日は2つめの話となる「公衆電話」にまつわる話をご紹介したいと思います。

同級生のイトウさん

私が高校生の時、同級生のイトウさん(仮名です)と言う友達がいました。

母は私が高校生になった頃にはもう、躾と言うには度を越した厳しさになってきていて、私は友達付き合いをするのもなかなか難しくなっていたのですが、イトウさんのことは母も「この子ならまぁいいか」と思っていたのか?家に1度泊まりに来たこともあったりして、両親もイトウさんのことは知っていました。

そして、ある週末の日曜日の午後、私はイトウさんの家に初めて遊びに行かせてもらうことになりました。

どこかへ出かける時は母に必ず「いつ出かけるのか?」「誰と出かけるのか?」「どこへ行くのか?」「何しに行くのか?」「何時に帰ってくるのか?」を前もって言わないといけない決まりになっていたので、私は

  • 「いつ出かけるの?」 ⇒ 日曜日に
  • 「誰と出かけるの?」 ⇒ 私1人で
  • 「どこへ行くのか?」 ⇒ 2駅先のイトウさんの家に
  • 「何しに行くのか?」 ⇒ 遊びに行かせてもらうことになって
  • 「何時に帰ってくるのか?」 ⇒ 夕方に帰ってくるから!

と伝えておき、日曜日は予定通り、お昼過ぎからイトウさんの家にお邪魔させてもらいました。

母にはちゃんと前もって話はしておいたし、行先も伝えたし、なんてったって遊ぶ相手は母も知っているイトウさんですから、何の問題もないよね!と思いながら私は出かけたのでした。

イトウさんの家に母から電話がかかってきた

お昼過ぎ、電車に乗って2駅先の駅で下車すると、駅までイトウさんがむかえに来てくれていて、おしゃべりしながら歩いてイトウさんの家に向かいまして、その日はイトウさんのご両親も妹さんも出かけているとのことで、イトウさんがお菓子やジュースを準備して出してくれました。

そして、学校ではあまり話さないこととか、実はあの時こうだったんだよとか、あれこれおしゃべりして楽しんでいたのですが、イトウさんの家に着いて1時間半くらい経った頃だったと記憶していますが、イトウさんの家の電話が鳴りました。

そして、もちろんイトウさんが電話に出たのですが、

「はい、イトウです。はい・・・あ、どうも・・・はい・・・あ、はい、今替わります~」

と言って、いきなり受話器を私に差出しながら

「なばなちゃん、お母さんからだよ(??)」

そう言われた時は、色んな意味で驚いてしまい「え?なんで?どうして?!」と思わず声に出てしまいましたが、イトウさんも首をかしげながら家電の受話器を渡してくれたので、私はとりあえず急いで電話に出ました。

すると母は何やら外面が良い時の雰囲気で、

母:「あっ、なばなぁ?あのね、今〇〇デパートに買い物に来ていて、アンタに良さそうなベルトがあったから、いるかな?と思って、アンタに電話で聞いてみようと思って電話かけたのよ。」

と、わけの分からない事を言ってきたのです。

な:「え・・・ベルト?」(私、ベルトが欲しいとか一言も言ってないけど…)

母:「そう!ベルト!」(←そこはかとなく白々しい雰囲気)

な:「いやぁ・・・ベルトは別にいらないよ。」

母:「あら、そう?」(←ここは意外とあっさり受け入れるのね?)

ここで、私は確信をつく質問を母にしました。

な:「それより・・・イトウさんの家の電話番号、私、お母さんに言ってなかったよね?どうやって電話してきたの?」

すると、母は悪びれるでもなく、何だったらちょっと自慢気にこう答えました。

母:「イトウさんのお家が〇〇駅ってアンタから聞いていたから、買い物先の公衆電話から104に電話して、『イトウ』さんがどんな漢字か分からないから、○○駅周辺の『イトウさん』って言う名前の家の電話番号を全部調べてもらったのよ。それで1軒1軒かけて、やっとアンタの友達のイトウさんちにかかったのよ!」

その返事を聞いて、私は驚愕し、血の気が引いたのでした。

毒親育ちの考察

この出来事を読んでいただいて、どうして私が驚愕して血の気がひいたか、お分かりになりましたか?

ここからは、毒親育ちの私の視点で解説させていただきたいと思います。

まるで推理小説のような感じになってしまうと思いますが(笑)、謎解きを楽しむ感覚で読んでいただけたらと思います(#^^#)

 

まず、母が買い物に来たと言った〇〇デパートは、実家から3駅先にありました。

つまり、イトウさんの家の隣駅です。

そして、そこでもしも本当に

「私が家を出た後に母が買い物に出かけて」 ⇒ 「イトウさんの家のある駅を通り越して3駅先の〇〇デパートまで行って」 ⇒ 「色々見て回っていたら」 ⇒ 「ベルトを見つけて」 ⇒ 「これ娘に良さそう!と思って」 ⇒ 「104に電話をして」 ⇒ 「『〇〇駅のイトウさん』と言う名前の家の電話番号を全部調べて」 ⇒ 「片っ端から〇〇駅のイトウさんと言う名前のお宅に電話をかけて」 ⇒ 「『うちの娘がお邪魔してませんか?』と確認していって」 ⇒ 「やっと私の友人のイトウさんの家にビンゴした」

ならば、相当な時間がかかったはずです。

それなのに、私がイトウさんの家に到着してから1時間半程度で電話がかかってきたと言うことは、時間の事を考えると、もしかしたら母は家を出た私の後をつけて同じ電車に乗って、私が本当に2駅先の駅で下車するのを見届けてから、〇〇デパートがある次の駅で下車したのではないか?と、私は思いました。

ただこれは、あくまで私の推測でしかありません。

 

でも母は、私から伝えられた「〇〇駅のイトウさん」と言う限られた情報だけを頼りに、私がベルトが欲しいかどうかを確認するためだけに、ケータイやスマホがまだ無かった時代、電話代がいくらかかったか知る由もありませんが公衆電話から104に電話して、○○駅の全てのイトウさんと言う家の電話番号を調べまくったのは事実ですから、恐ろし過ぎます。

だって、イトウさんには伊藤さんもいれば、伊東さんや井藤さんなどなど、たくさんのイトウさんがいるわけじゃないですか。

その時点で普通だったら「104で調べるのは難しいな」と諦めると思うのです。

それを諦めずに「イトウさん」だけで調べて、何としても電話をかけてきたところは、常軌を逸しています。

 

そもそも、私は一言も「新しいベルトが欲しいんだよねぇ~」とか言ったこともないのに、なぜベルト?

その答えは、ズバリ、ベルトはただの母の口実です。

本当に私に良さそうなベルトを見つけたわけでも、そのベルトが欲しいか私に確認したかったわけでもなかったのでしょう。

なぜなら、電話で私が「ベルトは別にいらないよ。」と答えたら、母は「ええ?素敵なベルトよ!」とか「似合うと思うんだけど?」のような事は言わずに、あっさり「あら、そう?」で終わらせたと言うことは、さほど私にベルトを買ってあげたいと思っていたわけではない事が見え見えです。

百歩譲って、本当に娘に良さそうだなと思うベルトがあったのならば、私にわざわざ確認なんかせずに買っておいてくれても良かったのでは?と思います。

 

つまり、答えはこうです。

私の全てを知っておきたい「過干渉」の毒親の母は、ベルトを口実に、限られた情報をたよりに電話番号を調べ上げ、イトウさんの家に電話をしてきて、電話口に私を出させて、

私が本当にイトウさんの家にいるかどうかを確認したかった

だけなのです。

でも母は、そんな事実は絶対に認めないし、さも本当に「ベルトが欲しいかどうか確認したかっただけ」と言うこじつけのような理由を振りかざして、平然と私の行動を監視して束縛してくるような人と言うことです。

いかがですか?

ただ友達の家に遊びに行くだけで、これだけのことをされて、行動も精神的にも追い詰められる毒親育ちの日常は。

普通の家庭に生まれていたなら、学校で友達を作ったり、友達の家に遊びにいったりて、交友関係を通じて成長していくことは当たり前のことだろうと思いますが、過干渉の毒親のもとに生まれると、普通の人の普通の当たり前が無い日常です。

毒親の過干渉や監視や束縛とは、このように他人には絶対に気付かれない、理解してもらうのも難しい、見えない檻のようなものなのです。

この年になっても、あの頃の事を思い出すだけで、本当にしんどかったなぁと心がズッシリ重くなりますし、あの暮らしから離れることが出来た今は本当に自由で幸せだなぁと改めて感じます。

生きてて良かったーーー!(#^^#)

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