前回の【本当にたたかったお嫁さま】その26.「何とか両家の顔合わせの日程が決まった日」では、
2000年8月上旬、母が相変わらずでまともに会話も出来るような状況ではなくて、会話のない母と娘の、静かな頭脳戦は続いていました。
そして、両家の顔合わせの日程を決めるために、私は両親に日程の決定権を丸投げして、決めてもらった、と言うよりも、決めさせました。
これぞ、『THE!日時を決めたのはお父さんとお母さんなんだから後になって予定についてごちゃごちゃ言わせないよ作戦!』
こうして、9月の下旬の日曜日と言うことで無事に日程が決まったのですが、それまで1ヶ月半くらい間が空いてしまったので、私はその間に、自分の引っ越しの準備にとりかかることにしたのでした。
今日はそのへんのお話をしたいと思います(^^)
両家の顔合わせの日程が何とか無事に決まって、また1つ前進できたことはホッとしましたが、母の問題は全く解決していなかったので、苦しい状況には変わりありませんでした。
そして、父は最低限でも私に協力をしてくれていましたが、それ以外は、家の中では父も母も私もお互いがお互いに関わろうとしないまま暮らしていたので、私は引き続き、私自身の結婚までの準備は自分1人でするしかありませんでしたし、ヘタに親に相談して嫌な思いをさせられたり邪魔されるくらいなら、黙って1人でやる方がいいとさえ思っていました。
私は子供の頃からそうやって1人で乗り越えてきたことが多かったので、今更、寂しいとか悲しいとかは思いませんでしたね。
思ったところで、仕方のないことだと分かっていたし、父や母が寄り添ってくれるような人ではないことは、もう受け入れていたからです。
そして、結婚式までにカレが一人暮らしをしているワンルームマンションへの引っ越しを済ませておくことも、両親には話はせず決定しました。
そんなわけで、両家の顔合わせまでの間に、私は私の引っ越しの準備を進めることにしました。
2000年当時の私は、ケータイは持っていましたがパソコンは所有していなかったので、何かの情報を手に入れたくても今みたいにネットで簡単に調べられるわけではなかったので、結婚式場探しの時にゼクシィにお世話になったように、頼みの綱は「情報誌」です。
引っ越し業者探しは、タウンワークで調べて、実家の町から近い所の引っ越し業者に決めました。
直接電話をかけて、引っ越しの希望日を伝えて、引っ越しの予約を取りました。
ちなみに引っ越しは11月後半、約3ヶ月後に決定です。
それと、引っ越しの荷物の量の確認 & 見積もりを出すために、引っ越し業者が家に来る日を決めました。
引っ越し業者が見積もりに来る日については、ちょっと記憶が曖昧になっているのですが、確か、両親が何か用事で出かけると決まっていた日にしたと思います。
こうして、両親が家にいない日に、スーツを着た引っ越し業者の見積もり担当の人が家に来ました。
そして、2階の自分の部屋に案内して、運びたい荷物の量を聞かれたので
「この箪笥2個と、ラック1つと、衣類と、その他はダンボールが・・・5個くらいで大丈夫だと思います。」
と伝えると、パンフレットを見せてくれながら
「それでしたら、こちらの単身者用のパックで大丈夫かと思います。」
とのことで、その引っ越し業者の一番小さな引っ越しのプランをお勧めされました。
私には嫁入り道具はありませんでしたし、カレが暮らしているワンルームマンションへ引っ越すので持って行ける荷物の量にも限度がありましたし、実家から持って行きたい私の荷物なんてたかが知れていたのです。
でもそのおかげで、引っ越しの費用が思っていた以上に安く抑えられたことは、ラッキーでした。
こうして、無事に引っ越しの手配は済んで、引っ越し用のダンボールは引っ越しの10日くらい前に玄関前に置いておいてくれることになりました。
親に結婚を祝福してもらいながら準備を進めるのとはワケが違って、結婚を阻止しされそうになるのをかいくぐりながらだったため、思う様に一気に準備を進めることが出来なくて、何とか1つ前進しては、ホッとして、何とか1つ前進しては、ホッとして、この頃はこれの繰り返しでしたね。
でも、引っ越しの手配が済んだことで、ずっと出たくても出れなかった実家から本当に出られるんだと実感した私は、そこでやっと、新生活で使いそうな物を少し買っておこうかな~と、ふわっと楽しみなような気持ちが湧いたのでした。 ~ つづく ~
コメント