年齢を重ねたことで受け入れなくても済むようになったこと

エッセイ

先日は、誕生日を祝ってくれようと夫がフンパツして霜降り肉のステーキを焼いてくれましたが、すっかりおばさんな年齢になった私には霜降り肉の脂がヘビー過ぎて、若い頃のように美味しく食べられなくなっている自分の体に驚いてしまいました。

年齢を重ねると、油っこい物とかが食べられなくなる~とは聞いていましたが、ああ、こう言うことかって。笑

見た目とか体型とかのように自分の努力次第である程度カバーできる事と、食の好みの変化のようにこればっかりはどうにもならない事があるんだなと、悟りましたね。

年齢を重ねると言うことは、そんな新しい自分との出会いでもあって、その自分を受け入れて行くことなのかもしれません。

そんなことをぼんやりと考えていたのですが、ふと、年齢を重ねたことで受け入れなくても済むようになったこともあるなぁ、なんて気づいたのです。

 

これは、毒親育ちである私の特徴だったのですが、日常的に毒親である母に心無い言葉を言われ続けて育ったので、言葉で傷つけられるツラさとか悲しさとか苦しさとか、嫌と言うほど思い知って育ったものですから、言われる側の人の気持ちが痛いほど分かるので、私は人に対してもの凄く言葉を選んでしまうし、それで自分の気持ちを思う様に伝えることが出来なかったりしました。

それに加えて逆のパターンもあって、人からあれこれ好き勝手に言われても、ここで私が言い返したらと相手の事を考えてしまって自分の意見を言えなかったり、私が聞き流せば丸く収まるかなと我慢するクセが付いてしまっていました。

そんな私の性格を「話しやすい」と思って気軽にアドバイスしてくれたのか?

それとも「この人には何を言っても大丈夫」と思われていたのか?

どちらにせよ、私はけっこう色んな人から色んなことを言われるタイプだったと思います。

 

社会人の頃は、「お金は貯められるうちに貯めておいた方がいいよ!」と言われていたかと思えば、「若い頃しか出来ない事もあるから、楽しんでおかなきゃ!」と言われたり。

「仕事頑張ってる?」とか「キャリアアップは大事だよ!」と言われていたかと思えば、20代半ばを過ぎた頃から「結婚のご予定は?」と聞かれるようになったり。

「いや、特に結婚する気は…」と答えていても、親戚から「お見合いしてみなよ!」とちょっと強引にお見合い話を持ち掛けられて、丁重にお断りするのが大変だったり。

結婚したらしたで、「こんにちは」の挨拶とセットのように「お子さんは?」と聞かれるようになって、「子供はおりません。」と答えると「あら、残念ね…」と勝手に可哀そうがられたり。

「子供は別に出来ても出来なくてもどちらでもいいと思っていて…」と答えても、「子供はいいよ~諦めないで頑張ってね!」なんて、結局、40代前半まで応援されていましたね。笑

そして、やっと子供産みなよ攻撃が消えた40代半ば頃に仕事を辞めて専業主婦になったら、今度は「仕事しないの?」「子供もいないし暇じゃないの?」「いつも何してるの?」と勝手にヒマ人認定されまして。

 

何をしても。

何をしなくても。

人生の選択肢が色々あるうちは、色んな人が色んな事を好き勝手に言いました。

そして当時の私は、自分で言うのも何ですが変に律儀なところもあったりして、「人の言葉にも耳を傾けなければね~」なんて思っていたものですから(^^;余計に人の言葉というものに心の奥がざわざわさせられてしまいました。

でも、私も50代になり、もう子供を産むか産まないか迷うことも無いし、仕事も自分でしないと決めたし、私は夫と猫くんと暮らしている、これ全て、これまでの私の人生の取捨選択があっての今です。

「家族は夫と猫くんです」「子供はいません」「仕事ももうしません」それが私と言う人間です!と確定した今は、周りからあれこれ言われなくなって、心の奥がざわざわしていた私は姿を消していました。

年齢を重ねて、人の言葉を受け入れなくても済むようになったこと、本当に気持ちが楽です♪

スポンサーリンク

コメント

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました