思い起こせば、ちょうど10年前の今頃、私達夫婦は「仕事に」「会社に」忙殺されかけ、瀕死状態でした。
ギリギリまで頑張った夫
夫の仕事は年がら年中多忙で、時間もめちゃくちゃ不規則だったので、終電で夜中の1時頃に帰宅とかは日常茶飯事でしたし、なんだったら、夜中に帰宅して晩ご飯を食べた後に朝方まで仕事をして、2~3時間だけ仮眠してからまた朝から会社へ行くなんてことも珍しくありませんでした。
結婚当初、夫と私の仕事の業界が全く違ったので、毎日残業が当たり前で寝る間も休日もヘッタクレも無い夫の仕事や働き方に戸惑いましたが、私も夫の仕事を理解しようとして相当自分の中で我慢もしていました。
でも、いつまで経っても夫の仕事が落ち着く日が来ることは無くて、一緒に暮らしているのに晩ご飯すら一緒に食べることが出来ない日々が半年くらい続いた頃、「晩ご飯くらい一緒に食べたいよ…」と思ったらプツンと心の中の糸が切れてしまったような感じで、涙がこぼれてきました。
それでも、夫は決して遊びまくって家に帰って来ないわけでもなければ、夫だって早く家に帰りたくても帰れずゆっくり寝たくても寝れない毎日を、2人の生活のために頑張ってくれていることは私も分かっていたので、夫の仕事の忙しさはもう諦めて暮らすしかありませんでし、夫も本当に良く頑張っていたと思います。
そんな生活が14年ほど続いた今から10年前のちょうど今頃、夫の仕事は多忙なんて言葉では言い表せないくらいの状況に陥っていました。
当時の私の手帳に小さく書き残されていた夫の状況を見ると、「帰宅出来ず会社で仮眠」「2日ぶりに終電で帰宅したけど、朝まで仕事」「そのまま朝から会社へ行って、今日は帰って来れるかどうか…」と、かなり追い詰められた状況が残されていて、一番最悪だった時は、月曜日から金曜日までの5日間のトータルの睡眠時間が、たったの5時間だったこともありました。
1日の睡眠時間じゃないですよ、5日間のトータルの睡眠時間です。
嘘みたいな話でしょ?でも、嘘じゃなくて、恐ろしいことに現実でした。
そして、ついに夫から「会社辞めようかな…」と言う言葉が出たので、私も日に日に小さくなっていく夫を見ていられなくなって「もういいんじゃない?辞めなよ。仕事(収入)は私が何とかするから。大丈夫だから。」と言って、夫は退職する意志を固めたのでした。
手を差し伸べてくれた人
こうして夫は、退職届の準備をし、後は直属の上司に提出するだけになりました。
でも、その前に、夫が昔とてもお世話になったとある上司の方にだけ、お世話になったお礼を兼ねて先に「近々退職することにしました」と話をしたそうです。
すると、その上司の方が夫の現状を知って「無理に引き留めはしないけど、これから提案することを試しみてしばらく様子を見てから、退職を考えても遅くはないかもよ?」と、夫に幾つか提案をしてくれたり、手を差し伸べてくれたのです。
その結果、細かい話しは端折りますが夫は一旦退職することを止めて、すぐに会社の産業医との面談を受けさせてもらうことになって、産業医からは「心身共に過労です!まずは1ヶ月間、休職命令です!(休職期間延長の可能性あり!)」と即日で診断を出してもらえ、あれほど休みたくても休ませてもらえなかった会社を休めることになりました。
産業医が会社から夫を強制的に引き離してくれたのです。
その日から夫は、それまでずっと足りていなかった睡眠時間を取り戻すかのように昼夜を問わず1日のほとんどを眠って過ごし、10日ほど経ってやっと、朝起きて夜寝るペースに戻すことが出来ました。
そして、もう、何か月ぶりだったでしょうかね・・・春以来だったかな・・・夫は(先代の)愛犬と私の2人と1匹で、久しぶりに近所の土手沿いを散歩しました。
家から目と鼻の先の土手なのに、ゆっくり散歩することも出来なかった10年前の1年間。
日々の暮らしの中で、このような時間を持つことは当たり前なことであるべきなのに、散歩する体力も、気力も、時間もままならない生活なんて良いわけがないよね、と、当たり前の幸せを改めて実感したお散歩となりました。
夫を助けたかった私
やっとの休日とやっとの睡眠時間を手に入れ、スヤスヤ眠り続ける夫の姿に、私も心の底からホッとしたのを今でも覚えています。
そして、夫が退職を決めたタイミングで、私は派遣社員として仕事に復帰しました。
夫が気兼ねなくいつでも退職出来るようにです。(結局、夫は一旦退職することを止めましたが、心置きなく休職して休んでいてもらうために、私の仕事復帰は私の中で決定事項でした)
業種は、私が新卒で就職した会社と同じだったので、面接を受けに行った時は「ちょっと高望みだったかな(^^;」と思いましたけど、過去の職歴のおかげで何とか仕事をゲットすることが出来ました。
こうして私は、通勤ラッシュの中を通勤し、フルタイムで仕事をし、派遣社員なのになぜか部課会議にも出て、会社帰りに買い物をして帰り、帰ってからご飯を作って、家事をこなし、夜遅くまで新しい仕事の勉強をしてから、寝て、また通勤して、を繰り返す生活に突入しました。
夫はしっかり休めて、私が収入を確保して、上手くいっている、と思っていました。
ところがです。
過去に経験したことのある業種の会社ではありましたが、派遣された部署が私が過去にやっていた業務とは違う部署だったために、帰宅してから、そして休日も、新しい仕事を覚えるための勉強の時間が必要になったことと、派遣社員が請け負うにしてはあまりにも責任が重すぎる業務内容で(社員1人と大差ないレベル)、責任感とプレッシャーがせめぎ合う毎日。
こうして2ヶ月ほど経った頃、今度は私が心身共にボロボロになってしまい、その頃には夫は休職していてだいぶ元気を取り戻しつつあったので、夫が家事や食事の準備を担ってくれるようになって行きました。
夫を助けてあげたくて、仕事復帰したのに・・・そして最終的に、私も過労でダウンしてしまうと言う本末転倒なことをしてしまったのです(^^;
医者からは「まずは1週間自宅で静養ね~」と言われたので、派遣会社の方へ連絡を入れて、派遣会社に言われた通り診断書を郵送で提出したところ「それでは、派遣の契約は打ち切りとさせていただきます。」と即決されてしまい、「ええ?1週間も待ってくれないの?!」とビックリやらショックやら。
でも夫から「それならそれでええやん。2人で少しゆっくりしようや。」と言ってもらって、ようやく私たち夫婦は、2人でゆっくりする時間を手に入れたのでした。
大事なこと
最終的に、夫は3ヶ月間ほど休職&通院を経て、直属の上司から離れた部署で仕事復帰を果たし、退職することなく今に至っています。
夫の話に耳を傾けて手を差し伸べてくれた昔の上司の方には、今でも本当に感謝しています。
そして私は、この時の仕事を最後に専業主婦になって、今に至っています。
そんな人生のターニングポイントがあった10年前、もちろん我が家としての収入は減りましたし、そこから3~4年間くらいは家計もかなりピンチに陥ったりしていました。
でも、寝る、食べる、楽しむ、家での暮らし、何もかも奪われるような日々で、働くためだけに生きているようだと思うほど追い詰められてやっと気づいて、夫婦そろって腹をくくって生き方や働き方を見直したような時期でした。
それ以降、「働くために生きるのではなく、生きるために働くのだ」と言うことを忘れてはいけないと、街の華やかなクリスマスツリーを見る時期になる度に思い出します。
そして今は、毎日のように晩ご飯を一緒に食べれて、会話したりリラックスできる時間が持てて、人並みに睡眠時間があって、休日にはちゃんと休めて、猫くんがいてくれて一緒に遊ぶ時間もあって、こんな当たり前の日々がありがたいです。
あの時のターニングポイントは私たちの人生には必要な事だったんだなと思えている今に感謝です。
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