前回の【本当にたたかったお嫁さま】その44.「引っ越し準備開始」では、
引っ越しの準備が始まりましたが、それよりもなによりも大変だったことは、結婚式まで1ヶ月を切った時点でカレが相変わらず仕事が多忙を極めていたことでした。
毎日深夜まで仕事に追われていたカレの代わりに、私は毎日の仕事をこなしつつ、引っ越しの準備もしつつ、結婚式までに手配しておかなければいけない用事を一人で準備していました。
おかげで、結婚式を間近に控えた幸せな花嫁さんのようにゆったりとブライダルエステなんかに行けるはずもなく、肌はボロボロ、目の下にクマ状態になっていました。
それでも私は、自分が可愛そうだとは全く思いませんでした。
なぜなら、子供の頃からずっと心の中にあった「実家から出たい」という願いが、あともう少しで叶うからでした。
今日はそのへんのお話をしたいと思います(^^)
世の中の花嫁さんは、いったいどのような気持ちで結婚の日をむかえるのでしょう?
愛する人との未来にただただ胸を膨らませているのでしょうか。
それとも、育ててくれた親や家族に感謝の気持ちでいっぱいなのでしょうか。
もしかしたら、大切な愛する親や家族の元から旅立つ寂しさもあるのかな。
そんな気持ちが入り混じっていたとしたら、いったいどうやってその気持ちを自分の中で受け止めればいいのだろう?と考えてしまいます。
私にはちょっと想像の範囲を超える出来事です。
なぜなら、結婚の日を間近に控えていた私の気持ちは、とても明確だったからです。
1つめは、これからカレと一緒に生きて行ければ、それでいい。
2つめは、実家と両親の元から離れられれば、それでいい。
たったこれだけでした。
理由は、両親の元から旅立つ感謝とか切なさとか寂しさを感じたくても、現実的には、それどころではない毒親である母の存在があったからです。
結婚式の日が近づいていることは母も分かっていたはずですが、それでもなお、母は私とは目も合せなければ口もきかず怒りをみなぎらせて毎日を過ごしていて、最後まで取り付く島もありませんでしたね。
思い返せば、母は私が物心ついた頃から少しずつ毒親の一面をちらちらと見せ始めていて、それは私が成長するにつれてエスカレートしていき、20代半ば頃には話も通じなければ手も付けられない状態になり、20代後半でカレと出会った頃には、私はそんな母と親子らしい関係を取り戻そうと努力することを諦めたと言いますか、親子らしい関係を取り戻そうと努力してももう無理だなとやっと悟りました。
なので、世の中の花嫁さんのように色んな気持ちが複雑に絡み合うようなこともなく、潔いほど気持ちが割り切れていて、実家や両親への未練みたいなものも全くありませんでしたね。
子供の頃から出たくても出られないでいた鳥かごのような両親がいる実家から出られれば、それだけでもう十分だったのです。
だから、家の中で両親と話が出来なくても、どんなに忙しくても、ゆったりとブライダルエステに行けなくても、肌がボロボロで目の下にクマが出来ていても、そんなことは些細な事でしかありませんでした。
でもちょっぴり本音を言えば、出来ることなら私も一人の子供として娘として、心から親に感謝しながら新しい人生のスタートラインに立ちたかったですけどね。
でも、無い物ねだりしても仕方ない、それが私の現実。
だから私はただひたすらカレとの未来だけを見て、どんなに時間がかかっても1歩1歩階段を上って、前に進みました。
こうして、淡々と実家での日々を過ごし、いよいよ引っ越しの日がやってきました。 ~ つづく ~
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