祖父母に弟子入りすれば良かったなぁ~

エッセイ

私の母方の祖母は大正生まれで、祖母から聞いた話では

「その頃の女の人は今みたいに大学に行ったりとかじゃなくて、結婚前に花嫁修業で色々習ったりしてたから、私はお針の先生の所に通ってたんだよ。」

だそうで、祖母は着物を縫うことが出来ましたし、着物の縫製を教えるお針の先生の資格も持っていました。

今では仕事として着物を縫うためには「和裁技能士」と言う国家資格が必要ですが、祖母の頃は時代が時代なだけにまだ和裁技能士と言う国家資格は無かったので、お針の先生の所に通って、着物の縫い方を習って、先生に技術を認めてもらえたらお免除をいただいて、そこで初めてお針の先生の資格を得たことになっていたようです。

そんなお針の先生の資格を持っていた祖母なので、初孫だった私は七五三の着物も、お正月の着物も、夏の浴衣も、卒業式の袴の上に着る着物も、全て祖母が縫ってくれまして、子供の頃は「お婆ちゃんがまた着物縫ってくれたって~」と母から聞いて「わーい♪」くらいな感じで、その祖母の凄さを分かっていなかったのです。

なぜなら、祖母はお針を習っていた先生から祖父を紹介されて結婚したそうなので、つまり、お針の先生の資格を持っていたものの仕事でその技術を使うことはなくて、教室をやって誰かに教えていたこともなくて、結果的に本当に花嫁修業としての技術に留まってしまったので、子供の私にしてみれば「着物を縫えるのは祖母の趣味」くらいな感じで受け止めていんだと思います。

でも私もこの歳になって、着物が縫える技術、お針の先生の資格をもっていた祖母の凄さに気付いて、改めて尊敬してしまいます。

 

そして、そんな祖母と結婚した祖父は材木店を営んでいました。

っと同時に、木工職人でもありました。

材木店なので家を建てたりする際に使う木材を販売する傍らで、家の1階が工場になっていて、何人かの職人さんを抱えて仕入れた材木を使って木工品を作っていました。

なので母の実家である祖父母の家に遊びに行くと、家の中が木の香りに包まれていて、1階の工場には鉋やノコギリなど様々な危険な道具があったので、私は工場の中の方までは行かせてもらえませんでしたけど、工場の入り口付近に落ちているこっぱ(木の切れ端や木くず)を触って遊ばせてもらいました。

そんな木工職人でもある祖父のおかげで、まな板も、ガラス張りの人形ケースも、額縁も、私が浴衣や着物の時に履く下駄も、実家には祖父が作ってくれたものがけっこう色々あったのですが、それはもう「手作り」のレベルを超えている「職人さんの木工品」なので、今になって思えば、買ったら結構高かっただろうな(^^;と思いますし、とても贅沢なことだったんだなと改めて思います。

 

それでね、私も学校を卒業して社会人になって、思いがけず色々な仕事を経験して、この歳になって、今になって、「祖父母に弟子入りすれば良かったなぁ~」と、ふと思うのです。

これはもう結果論でしかありませんけど、私が唯一高校の時に先生の方から「推薦状を出してあげようか」と言ってもらえたのが美術の先生から美大への進学で、美術が大好きだった私は心の中では嬉しかったですし美大に行けたらいいなとも思いましたけど、実家の経済的な事を考えるとお金がかかる美大への進学は申し訳なく、また、毒親である母がちょっと特殊な美大と言う選択を許してくれるはずもないので、先生には丁重にお断りしてしまったんですね。

結果、企業に就職して、ひたすらデスクワークをして、ただお金を稼ぐために仕事をしてきて、この歳になって、特に何の技術も身についていなくて、なんだか虚しくて。

それだったら、美術が好きだった私は子供の頃から祖父母に弟子入りして、手先を使って着物を縫う技術を学んだり、木工品を作る技術を学んでいたら、もしかしたら?それが手に職となって今でも仕事としてその技術を活かせていたかもしれないし、仕事にしていなくても身につけた技術を生かして趣味を楽しめていたかもしれません。

そんなことを考えると、もっと子供の頃に祖父母の凄さに気付いて、教えていただけるものは教えていただいておけば良かったなぁ、などとちょっと後悔してしまったりしています。

エッセイ

✨ランキングに参加しています✨

クリック ↓ で応援していただけたら嬉しいです🌷

フォローもしていただけたら小躍りして喜びます🕺

PVアクセスランキング にほんブログ村にほんブログ村 ブログブログ 雑記ブログへ

 

日々の出来事ランキング

シェアする
スポンサーリンク
スポンサーリンク

コメント

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました