私には、父から譲り受けたカメラがあります。
minolta HI-MATIC E
オートフォーカスのカメラなんて無かった昔、私が小学校に入学して初めての運動会の時、機械音痴な父はこのカメラで懸命にピントを合わせながら写真を撮ってくれました。
が、レンズの黒いフタを取り忘れていて、結局写真は1枚も撮れていなかったのでした。笑
母から問答無用の電話あり
このカメラ、古くてもう壊れているかもしれないし、壊れていなかったとしても私には使いこなせないかもしれないのですが、思い出の品として大切にしていました。
でも、夏前頃に母から電話があって、母がずっとお世話になっている美容師さんがフォトグラファーを目指しているそうで、母がこの古いカメラのことを話したら、美容師さんが使ってみたいと言っているとのことで
「カメラ送って!」
母にとっては知り合いでも私にとっては見ず知らずの人に、このカメラを渡さなければならなくなってしまったのです。
でもこの時ばかりは
「え~…嫌かも。私も思い出の品として大切にとっておいたんだけど。」
と、あくまで冷静に、私にしては珍しく抵抗してみました。
すると…
母の言い分
「だって、アンタが持っていたって使わないでしょ?」
「アンタが死んだら捨てるだけなんでしょ!」
「使わないなら使ってくれる人にあげた方がいいでしょ!」
「使うの?使わないの?どっち?」
もう、相変わらずの一方的な感じで、話し合いにもなりません。
まぁ確かに、使えないなら使える人が使った方がいい、かもしれないし。
「使うか」「使わないか」と2択で聞かれたら、私には使えないだろうから持っている権利は無い、のかもしれないけど。
アンタが死んだら捨てるだけでしょ、って・・・
相変わらず子供の気持ちなんてどーでもいい母です。
私のささやかな思い出の品であると言うことは、関係ないことなんですよね。
そんなこんなで、思い出のカメラを手放さなければならなくなってしまいました。
作戦会議
ぶっちゃけ、中古でこのカメラは手に入りやすいみたいなんですよね。
フォトグラファーを目指してる美容師さん、自分で買ってくれないかな。
って言うか、私が中古を買ってそれを送ろうかな。
色々と残念で悲しいので悶々と考えつつ、とりあえずその事を夫にも話してみたところ
「中古で同じ型の買って身代わりで送ればええやん。思い出のあるカメラは手元に残しておけばええやん。」
と、あっさり言ってくれたのです。
本当にそうするかどうかは即決では決めかねましたが、私が譲り受けたカメラを大切に思っていた気持ちを分かってくれたこと、とてもありがたかったです。
そして、しばらくして落ち着いてから冷静に考えてみて、夫の配慮に感謝しつつも、やっぱりカメラは言われた通り送ることにしました。
母の嵐に夫を巻き込んでしまう方が嫌だなって思ったのです。
なので、実家に何か荷物を送る時に、カメラも一緒に入れて送ることにしました。
カメラ単体で送るのも破損しそうで怖いですしね、荷物に紛れ込ませた方がクッション代わりにもなると思いまして。
やっぱり私が謝罪することになる
それから2ヶ月後。
やっとちょっとした荷物を実家に送ることになって、その荷物の中心にエアパッキンで梱包したカメラを入れて送ったところ、荷物が届いたと母から電話があったのですが、電話に出た瞬間、何やら怒りを押し殺しているような話し方。
毒親全開な頃の母の、あの雰囲気。
私はすぐに察知しました。
言われた通りカメラは送ったのに何だろう?と思いつつ。
下手に私の方から聞いたりすると母の毒親度が増幅することは経験上分かっているので、こーゆー時はまずは母の出方を見るのが得策。
そのまま黙って話を聞いてみると、どうやら私がカメラをすぐに送らなかった事が気に入らなかったようです。
母曰く、私がなかなかカメラを送ってこなくて、その間に美容院に2回も行っていて、なかなか渡せなくて申し訳ないから「娘が他の人にあげちゃったらしいの。」と言って断ったとのこと。
だから、もうカメラは要らないから、今度来た時に持って帰りなさいよ、と。
ええ~・・・問答無用であんな心無い言葉まで浴びせかけられて送ったのに・・・
と思ったけど、それを言ったら火に油を注ぐことは目に見えていたので、グッと堪えて
「『娘が勘違いしてたみたいで、カメラあったから』って美容師さんに言えばいいじゃん」
と言ってみたところ
「一度断ったから今更もういい!」
さらにグッと堪えて、上記の通りすぐにカメラを送らなかった理由を伝えて、最後に
「なんか、遅くなって申し訳なかったね。」
とこちらから謝罪したら、やっと「いや、べつにいいけど。」と少し気が済んだ様子でした。
基本的に私は母に反論しても無駄だと諦めているので(実際に無駄ですし)、いつもあまり口答えもしないで私の方が折れて我慢していますが、そんな私が「カメラ、大切にしているんだけど。ちょっと嫌かも。」と反論したし、電話の後すぐにカメラを送らなかったから、母は私が怒って「わざと送らないでいるんだろう」と思って、カメラが届くまでの間ずっとイライラしていたようです。
なのに、私の方からすんなり謝られたから、気が済んだのだと思います。
機嫌を直したついでに「山形の農家さんに頼んで、さくらんぼとホワイトとうもろこしを送ったので、夏に届くから」と伝えると、母の機嫌もさらに落ち着きました。
毒親の根本の部分は変わらないと気づくこと
とにもかくにも、また母に嫌な思いをさせられた挙句に私が謝罪することになったけど、思い出のカメラは手放さなくて良くなって、母の怒りの雷雲も取っ払うことが出来て、一件落着・・・かな。
今回も私、よく耐えたと思う。
今では上辺だけでもだいぶ親子っぽく話せるようになりましたが、こうしたチョットしたことがあった時に、母の毒親の部分が隠しきれず顔を出すのを感じます。
本人はそんなつもりは無いでしょうし、分からないでしょうけどね。
やっぱり根本的には変わることは無いんだなと、残念だけど、再認識するのです。
でも、昔の私だったら、こうやって母と関わる度に酷く気分が落ち込んだりしていましたが、今はもう「母は根本的な部分は変わらない」と分かったし、分かっているので、私の心へダメージはだいぶ軽くなりました。
これは一種の諦めだと思いますが、変わって欲しいと願わなくなった時から、自分が傷つくことから自分を守れるようになったのです。
今現在、親との関係で苦しい思いをしている人は、たとえ自分の親だとしても、理屈が通らないのが毒親であり、根本的に変わらないのが毒親なのだ、と少しでも早く気づくことが出来たら、結果、自分の気持ちが楽になるよと教えてあげたいです。
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