毒親の母が娘の私に求めていたこと

毒親について

私の母は毒親です。

そんな経緯もあって「なばなぶろぐ」では、毒親とはなんぞや?とか、毒親を毒親と言わしめる数々の特徴についてとか、毒親から身を守るにはどうしたらいいか?などなど、私の実体験も踏まえつつあれこれ書いています。

そして、私がブログを始めてから2年以上経ちまして、その間にブログを書きながら毒親である母の事を振り返って改めて考察してみたり、毒親について考えてみたりしてきましたが、最近になってちょっとした疑問が湧いてきました。

 

母は精神的に追い詰めて服従させるタイプ

話は少し前後してしまいますが、毒親には様々な特徴やタイプがあって、その中には「日常的な暴力をふるうタイプ」や「育児放棄のネグレクトのタイプ」など、誰が見ても「毒親だよね!」と気付くような分かりやすい毒親もいます。

でも母の場合は、娘の私のことを「自分の思い通りに出来る何でも言うことを聞く人間にしたい」「精神的に追い詰めて服従させたい」と言った感じの特徴だったので、他人からは気づかれにくいタイプの毒親でした。

「他人から自分がどう見られているかを非常に気にする」という毒親の特徴が強くて、衣食住の管理は人一倍きちんとしていた母なので、その点では私も何不自由なく生活させてもらいましたし、身体的な暴力はたまにありましたが日常的には行われていなかったので、他人には母が毒親だなんて絶対にバレることはなく、子供の私がどんなに精神的に追い込まれて苦しんでいても分かってもらえるはずもありませんでした。

 

ふと思った疑問

でも最近、私を苦しめることに勤しんでいた頃の母の年齢に私もなって、ふと考えました。

逆に、あれほど家事などはパーフェクトにこなせる立派な主婦で、他人との人付き合いも上手く出来る人なのに、子供の私に対しては、どうして普通の親でいてくれなかったんだろう?と不思議に思ったのです。

それが毒親と言うものだから、母はそーゆータイプの毒親だったから、と言ってしまえばそれまでなんですけどね。

だとしても・・・どうして普通の親でいてくれなかったんだろう?・・・どうして普通の親でいてくれなかったんだろう?

母は私が成長するにつれて、監視して支配する行動が悪化しまして、ざっくりと例をあげますと

  • 学校や仕事が終わったら、寄り道なんてしないで真っすぐ家に帰って来い
  • 友達なんて作らなくていい
  • 会社の付き合いなんか参加しなくていい
  • 一度家に帰ってきたらもう家から出るな
  • 私が家にいない間に机の引き出しからゴミ箱のレシートまでチェック
  • 私に電話(家電)がかかってきたり、私が電話をかけたりすると、異様に不機嫌になる

などなど、とにかく私が成長して学校や会社など外の世界に出て行くのを極度に邪魔して嫌がりました。

 

単純に解釈してみる

これらの母の行動を単純に解釈するとしたら、母は私に「ずっと私の傍にいて」「私の傍からなるべく離れないで」「私の言うことだけ聞いて」と、求めていたのではないかと思ったのです。

こうやって客観的に考えてみれば、なんか、小さな子供がお母さんに甘ったれているみたいです。

それに、私は小学校2年生の頃から両親への誕生日プレゼントを送り続けて早48年、ずっと両親に「お誕生日おめでとう」と言い続けていますが、私が「お誕生日おめでとう」と言ってもらえたのはいつのことだったかしら?

そして近年までは、寒くなってきたから、暑さが厳しくなってきたから、インフルエンザが流行ってるから、などなど「体に気をつけてね。」と言うのはいつも私の役目であり、娘の私から両親に一方的に言う言葉でした。

そう思うと、「毒親の母が娘の私に求めていたこと」は、娘の私に母親のような存在になって欲しかったのではないかと思ってみたり。

いつでも母が一番で、いつも母の傍にいて、何でも母の言うことを聞いてくれて、お誕生日おめでとうと言ってくれる、母にとってのお母さんのような存在にしたかったのかな?と、そんな気がしてきました。

まあ、例え私の考えが当たっていたとしても、母がそうしようとしていた自覚は無いだろうし、心の奥で自覚があったとしても絶対に認めることは無いだろうから、真実のほどは分かりませんけどね。

毒親全盛だった頃の母と同じ年齢になった私が思った「もしかしたら」なお話でした。

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