皆さんには、何年経っても、幾つになっても、あの時の自分はどうするのが正解だったんだろう?と考えてしまうような出来事はありますか?
疲労骨折
今の私を知っている人には想像しがたいと思われますが、実は私、学生の頃はわりと運動神経が良かったんですよ~オホホッ!
中学になると体育の授業の時だけ2クラス分の男子と女子が分かれて授業を受けたんですけど、2クラス分の女子の中で短距離は1番早かったりしました。(吹奏楽部でしたけどね!)
それで私、「陸上部に入ってもそこそこやれるのでは?!」と勘違いしちゃいまして、高校に入っていきなり陸上部に入部して、もちろん種目は短距離でした。
でも、高校にもなれば部活ってそんなに甘い世界ではありません。
高校生になるまで基礎的な体力も付けていなかった付け焼刃な私にとって、陸上部の練習はかなりハードで、走り方も自己流だったものですから、入部して1年も経たない頃に左脚のすねの部分が腫れて痛み出してしまいました。
診断は、疲労骨折。
疲労骨折とは、同じ動作を繰り返す様なスポーツなどで身体の同じ部位に小さな負荷がかかり続けることで発生する骨折で、スポーツをやっている人に多くみられる症状です。
何かの衝撃でポキッと骨が折れるような骨折ではなくて、運動を続けているうちに骨に僅かな亀裂が入り、無理して運動を続けると完全な骨折に至ります。
そして、疲労骨折の厄介なところは、痛みがあって腫れてしまっていても、もわずかな亀裂が入った程度の段階では運動は続けられてしまうことと、しばらく運動を控えてみると痛みが治まって、治ったかな?と思うのですが、運動を再開するとまた痛みがぶり返してしまい、完治の判断が難しかったところです。
部活の顧問に恵まれなかった
こうして左脚のすねの部分が腫れて痛み、疲労骨折の診断が出た私は、当然、陸上部の顧問にこの話をしました。
当時、陸上部に顧問は2人いて、2人とも体育の授業の教師でしたが、1人はほとんど指導などはせず部の手続きや書類などの管理をやっている感じで、部員に指導していた顧問は実質1人だけでした。
でも、その唯一指導していた顧問は、必要最低限だけ指導して、トレーニングのメニューを考えて、あとはマネージャーにメニューを渡しておくから自分たちで練習しとけ~みたいな感じでしたね。
今になってみれば、顧問がきちんと部員1人1人の走り方のフォームなどをチェックして、悪いクセなどを改善してくれたりしていれば、もしかしたら私も疲労骨折は回避できたのでは?と思ってしまいます。
そんな顧問だったので、私が疲労骨折の診断を受けた話を伝えても「あ~そうか、それじゃあ、走らないで筋トレとかやっといたら~?」くらいなもので、気にかけてくれるでもなく、別メニューを考えてくれるでもなかったので、私は自分でトレーニングメニューを考えて、部員のみなさんとは別にグラウンドの隅で筋トレなどを続けるしかありませんでした。
そうやって一切走らないようにして、通院も続けて2週間~3週間経つと痛みがおさまりまして、顧問が管理してくれず自分一人でトレーニングを続けていた私は、みんなと別メニューで走らないでいるとサボっているような感覚におそわれてもいたので、自己判断でしたが、再び走るトレーニングを再開しました。
すると、病院の先生が私の脚を診て「あ~、また走ったでしょぉ~~~(--;」と、私が走り始めたことをすぐに見抜き、もちろん、走れば走るほど痛みがぶり返してしまい、「だめだよ、安静にしてないと!」と言われて、また走るトレーニングが出来なくなりまして。
仕方なくまた別メニューと言う名の筋トレだけの日々を送っていると、痛みが治まり、練習を再開してみると、また脚のすねが腫れ上がり病院の先生から「走らないで」とドクターストップがかかる。
そんなことを3~4ヶ月ほど続けました。
退部理由
結局、走らなければ痛みが治まり、走ればドクターストップがかかりを繰り返し、さりとて顧問は何も対策を考えてくれず、部員のみなさんとはどんどん差が出始め、ハッキリ言って堂々巡りでしたね。
なので、陸上を続ける意味を見失った私は、退部することにしました。
でも、高校生だった私は、顧問に面と向かって
「疲労骨折の件はきちんと伝えたのに、別メニューを考えてくれるでもなく、他の部員に説明して対処してくれるでもなく放置されて、走れば病院の先生から走らないよう注意され、走れば痛みがぶり返してしまい、打つ手がもうないので退部します!」
な~んてことが言えるはずも無くて。
仕方なく、事務方に回っていた方の陸上部の顧問の先生に「勉強に集中したいので退部します。」と当たり障りのない理由を告げました。
するとその顧問から思いがけない返事が返ってきました。
「そうやって勉強するからって退部して成績が良くなった人は一人も見たことないよ。」と。
「勉強について行けてないの?」でも「もう少し陸上頑張ってみない?」でも「そうか、それなら勉強頑張れよ!」でもなく、皮肉を言われて、あっさり退部届は受け取られたのでした。
今でも正解が分からない
あの時、私は顧問に皮肉を言われてまで、顧問に気を使って事実を伏せたまま退部する必要はあったのかな。
顧問に「それならお言葉ですけど!」と、自分の気持ちをぶつけてから退部すれば良かったのかな。
表向きの退部理由は「勉強のため」と顧問に言ってしまった手前、部員の皆さんにも本当のことは言えないままだったけど、部員の皆さんには事実を話した方が良かったのかな。
それともやっぱり、顧問にも部員の皆さんにも事実は言わずにそっと部活を離れたから揉めたりもしなかったから、これで良かったのかな。
あの頃の事を思い出しても、未だに答えが分かりません。
たいていの若い頃に感じたモヤモヤは、大人になれば、時間が経てば、あれで良かったんだなとか、やっぱりこうしておけば良かったかもね、くらいの自分の中での答えが出るのだけど。
陸上部だった私はどうするのが正解だったんだろう?
どうにもこればっかりは、答えが見つからないままなのですよね~(^^;



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