昔はやりたい事を探し、今はやりたくない事を探す

エッセイ

母の目の調子が良くないとのことで、大学病院へ付き添いで行くために、私は4年ぶりくらいに両親と再会しました。

両親と4年ぶりに再会して思ったこと

コロナ渦はもちろんのこと、コロナ渦がいくぶん落ち着いてきて「もうコロナに感染しても重症化しないくらい弱くなってきたんだって~」と世の中的には普通の生活に戻りつつあっても、そのへんは割と慎重な両親は、こちらが「そろそろ久しぶりに顔を見に(実家に)行こうかと思うんだけど。」と言っても「いや、まだもうちょっと落ち着いてきてからだな。」と言って、私たち娘夫婦ともなかなか会おうとはしませんでした。

なので、今回の母の白内障の一件のおかげで?と言ってはなんですが、私は4年ぶりにやっと両親と会ったわけなのですが、4年ぶりに会った両親は、私が想像していた以上に年老いていて、明らかにお爺さんとお婆さんになったんだなって感じだったんですよね。

年齢を考えればそれは当たり前のことだよねと私も分かってはいるんですけど、なにせ、老いて行く途中経過を見ずに4年間をすっ飛ばして急に会ったものですから、急に年老いた感満載で、不覚にも内心ちょっと驚いてしまったのです。

今回の母の白内障の件を除けば未だに病院の通院や薬の服用なんかもなく元気に暮らしている両親ですから、母が目の調子が悪く不自由そうに動いている姿とか、病院の手続きが分からなくて思考フリーズしそうになっている両親の姿とかを見て、「ああ、近い将来、私は両親に何がしか手を差し伸べる時が来るんだな。」と思いましたし、それと同時に、両親の今後起きうる可能性をアレコレと想像して「私は何をどうしてあげたら良いんだろう?」とぼんやりと考えてしまいました。

しかしまぁ、毒親である母や両親のもとで苦しみ続けて生きてきて、なんだったら未だに過去の事を吹っ切れていない私にしてみれば、こうやって母や両親の事で今後どうしてあげるのが良いのかとか考える日が来たことは、正直、心中複雑だったりするんですよねぇ。

私がやっと苦しみを乗り越えて親のために何か考えられるようになったと捉えれば、「良かった」になるかもしれないですし。

未だに消しきれていないトラウマを抱えたまま年老いて行く両親と向き合うのは、「気が重い作業」になるかもしれないですし。

正直、自分でもどうなるか分からないのです。

「やりたい事」を探していた昔

思うに私、子供の頃から「躾と言う名の母の絶対的なルール」の下で生きてきました。

それが良いとか悪いとか正しいとか間違っているとかは関係なくて、母がダメと言ったらダメ、母がこうしなさい言ったらそうするしかありませんでした。

なぜなら、両親の言葉をそのまま書くと

「この家は自分たちの家で、そこに住まわせてもらっているうちは、この家(と言う名の両親)のルールに従ってもらうから。従え無いんだったら出て行け!」 ( ← ちょっと余談ですが、私が社会人になりいざ実家を出れるようになった途端に母は全力で私が自立することを邪魔してきました。詳しくはまた今度。)

そんな両親の考え方だったので、生活力の無い子供の頃や学生の頃は親に従うしかなかったのです。

でも、社会人になって自分で収入を得るようになって、いざとなれば自分でどうとでも出来る「収入と言う後ろ盾」を手に入れてから、私は初めて「私は何をやってみたいの?何が欲しいの?」と自分で自分の気持ちに聞いてみることが出来るようになりました。

そしてその手始めとして、私は手帳に「やってみたい事リスト」と「欲しいものリスト」を書き出して、1つ叶えるごとにリストに線を引いて消して行く作業をしていきました。

自分の気持ちを自分で叶えるごとに、少しずつ自分に自信と満足感を得ていったのです。

実家での生活において私は「私」と言う人間の意志を消して生きているようなものだったので、仕事仲間たちと朝まで飲んでみたり、可愛いサンダルを買ってみたり、些細なことでも「出来た」「手に入れた」と言う成功体験が嬉しかったのです。

社会人になって20代半ばから後半にかけては、自分の思うままに出来なかったことを取り戻すかのように「自分がやりたい事」をいつも探していました。

でも、私がやりたいことをやればやるほど、母の執拗な粘着や日常の妨害行為は加速してきて凄まじかったですけどね(^^;

でも、あの頃のあの私は、私の人生において必要な時期であったと思うし、ちゃんと自分で自分探しをしてあげたことは本当に良かったなと思っています。

子供の頃のまま、自分がどうしたいかも考えることすら許されないまま年齢を重ねて今になっていたとしたら、どんなにか空しい人生になっただろうと思うと、ちょっとゾッとします。

「やりたくない事」を探す今

そんな家庭環境で育った私は、結婚はしないで、親にも頼らず、一生1人で生きていこうと思っていました。

もう誰かに振り回される人生に疲れ切っていたんだと思います。

1人ならば、私は私の心に従って気持ちも時間も自由に生きられると思ったんですね。

でも、夫と出会って結婚して私は初めて、仕事も家事も友人との交流も自由に出来る日々と、当たり前のように安心して帰れる家と、家族として1人の人間として認めてくれている家族がいる暮らしを経験することが出来ました。

一見当たり前のようなこと、でもそれは私にとっては、初めて味わう温かい暮らしでした。

そんな日々を私は毎日感謝しながら生きているのですが、ひとつだけ変わったことがあります。

それは、若い頃はいつも「やりたい事」を探していましたが、穏やかに暮らせている今はもう、それだけで十分なのです。

だから今は「やりたい事」を探すことはさほど無くて、その代わりに、今のこの穏やかな夫と猫くんとの暮らしを大事にするために「やりたくない事」を探すようになりました。

以前、夫婦そろって過労でダウンしてしまった時に、仕事は身体を壊してまでするものではないし、ましてや仕事のために生きているわけでもなくて、大切なのは自分たちの健康と日々の暮らしなんだなと身に染みて分かってからは、気乗りがしない事や無理な事は引き受けない、などなど「やりたくない事」はやらないように自然とシフトして、今に至っています。

やりたい事を探して自分を取り戻そうとしていた20代の頃の私も必要な時間ではありましたが、大切なものを守るためにやりたくない事をやらないでいる今の方が、だいぶ楽に、そして自分らしく過ごせているなと思います。

もしかしたら両親も同じ?

そう思うと、ふと、もしかしたら両親も同じなのでは?と思えてきました。

既に高齢の年齢に達した両親の今後のことを、私があれこれ考えてみておくのは良いとして。

それを両親に「こうしてよ。こうしなさいよ。」と指図するのは、それがたとえ私が良かれと思って言ったとしても、違うかなと思えてきました。

きっと両親にも「これは嫌だ」とか「これはしたくない」とか、やりたくない事はあるでしょうから、今後、もしも両親の事で何か決めなければならないことが起こった時に、私は両親の「どうしたいの?」を聞くよりも、両親の「これは嫌だ」とか「これはしたくない」を聞いてあげた方が、話が出来るような気がしてきました。

ぼんやりとしたビジョンですが、両親と私のこれからの流れが薄っすら見えたような気がしています。

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