母が白内障の手術をすることになりました

現在の両親のこと

昨日、家を空けている間に母から電話があったようで、家電に留守番電話が入っていました。

そして今日、コロナ前に会って以来なので、だいたい4年ぶりくらいになるのかな、久しぶりに両親に会って、実家にも行ってきました。

母からの留守電に緊張が走る

昨日、私は午前中に出かけて午後の2時くらいには帰宅していたのですが、なにかとバタバタしていたのもあって、家電に留守番電話が入っているのに気付いた時には、もう夜の7時頃になっていました。

何だろう?また自動音声の○○調査みたいな電話かな?くらいに思いながら留守電を聞いてみると、実家の母からで、私が電話に出なかった事にちょっとばかり苛立っているような口調で

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど!電話ください!」

その声を聴いた瞬間に「ヤバい…」と緊張が走り、私の心臓はドキドキし始め、心の中で不安感が膨らみました。

傍から見たら、実の母からのただの留守番電話です。

それに、まだ電話で何も話してもいません。

それなのに、その声だけで毒親育ちと言うものは、実家で暮らしていた頃の恐怖感がよみがえってきてしまうのでした。

白内障の可能性

私は不安に包まれた心を落ち着かせながら、慌てて実家に電話をしました。

すると電話には母が出て、私が真っ先に折り返しの電話が遅くなったことを謝ると案の定、ちょっと不機嫌そうな感じではあったものの、昨日の母はグチグチ言うよりも大切な用事があったみたいで、いつものように不機嫌を私にぶつけてくることはなく、要件を伝えることを優先してくれたので助かりました。

話を聞くと、どうも最近、景色がぼんやり白くなって目が見えにくくなってきたそうで

「たぶん白内障だから、ちょっとアンタに病院の場所を調べてもらおうと思ったのよ!」

「だけど、隣駅の大学病院の眼科が良いみたいで、手術の症例数もけっこう多いから、そこへ行くことにしたから大丈夫。」

とのこと。

大丈夫、と言うなら、まぁいいのかな?と思って、その場は話を聞くだけ聞いて電話を切りました。

会う恐怖感と、会わない罪悪感

電話を切った後、とりあえずいつものように辛い気持ちにさせられなかったことにホッとしました。

でも、冷静になって考えてみれば、手術をするかもしれないと言う話じゃないですか。

それを「そうなんだ、うん、分かった。」だけで電話を切ってしまって良いわけがないのです。

なので、「明日、隣駅の大学病院に行ってくる。」と言っていたので、私も付き添いで行った方が良さそうだなと思いました。

そう思ったんですけどね・・・

私の中で未だに消えない「両親と会う恐怖感」で、心の中がいっぱいになってしまったんですよね。

それなら行かなければ良いのでは?と言う考えも頭をよぎりましたが、こんな状況で高齢の両親を他人事のように放置してしまうのは、それはそれで「会わない罪悪感」にも苛まれたりするのです。

会いたくない、でも、会わないでいる罪悪感、まさに心の葛藤がヘビー級でした。

私も病院へ付き添いで行くことにしました

でも結局私は、心の葛藤を一旦横に置いておいてやるべきことをやろうと決めて、もう一度実家に電話をして

「明日、私も一緒に病院へ行こうか?」

と聞いてみたのです。

すると、普段だったら「べつに、アンタに来てもらったって仕方ないし。」くらいの事を言ってくるような母なのに、昨日は

「うん、そう?来てもらえるなら心強いけど。」

なんて、しおらしいと言うか、弱弱しいと言うか、いつもの母らしからぬ返事が返ってきたので、ちょっとした違和感を感じつつも

「分かった、明日は私も行くから、大学病院で待ち合わせしよう」

と伝えたのでした。

白内障の手術をすることになった母

そして今日、私は朝から地元に向かい、両親と大学病院で合流しました。

久しぶりに会った両親は、明らかに年老いていました。

40代や50代の私たち世代が4年ぶりくらいで再会したところで、見た目の変化はさほどありませんけど、70代から80代の両親との4年ぶりの再会は、その4年間の大きさを感じざるを得ませんでしたね。

ああ、この人たちも本当にお爺さんとお婆さんになったんだなって。

ちょっと寂しいような気持にもなったりして、複雑な心境になりました。

そして、まずは受付へ行ったのですが、ここでちょっとしたアクシデントが。

大学病院は紹介状が無いと診察してもらえないとのことでした。

なので、親子3人で再び実家の最寄り駅に戻り、駅の近くにある手術の設備は無いけど評判の良い眼科へ行って、診察を受けたのでした。

そして検査結果は、母が予想していた通り白内障でした。

しかも、白内障はかなり進行しているとのことで、先生からは即答で手術を勧められて、大学病院の眼科への紹介状も出してくれました。

母は何か悪い目の病気なのではないかと内心びくびくしていたみたいで、白内障の診断を受けて、不幸中の幸いと少しホッとしたようです。

人間、弱っている時は、どんな毒親でも毒をはいている場合ではなくなるものなのかもしれません。

初めて両親の暮らしぶりを知って思ったこと

午後2時、眼科の診察を終えて、紹介状も出してもらい、やっと実家に戻りました。

私にとっては4年ぶりの実家、さすがに古くなったなぁと感じつつも、何も変わっていない家の中の景色にタイムスリップしたような感覚になりながら、とりあえず買って帰ったパンでお昼ご飯を食べまして。

その後、駅前の眼科でしっかり紹介状ももらえたので、大学病院の眼科に予約の電話を入れて、明日、改めて大学病院まで行くことになりました。

色々と手続きは済ませることが出来たので、明日は父だけが母に付き添って行くとのことでした。

両親はかなりな高齢にも関わらずこれまで何かの病気で通院するようなこともなく、毎日ウォーキングをしたりしている人たちなので、こうやってたまに病院へ行くと、手続きの仕方とか色々分からないことが多いようで、色々な場面で戸惑っている姿を見ました。

そんな姿を見ると、今日、念のために私が病院へ付き添っておいて良かったなと思いましたね。

そして夕方、お茶を飲みながら私と両親は、人生で初めてと言っても過言では無いくらい腹を割って話をしてきました。

(両)この家もどうにかしないとと思ってるんだけどねぇ…とか。

(私)実家(一軒家)を今後どうしたいと思っているの?とか。

(私)私たち夫婦の暮らす町へ引っ越してくる?とか。

(私)年金で暮らしていけてますか?とか。

(母)今、うちは年金はこれくらいもらっていて、毎月これくらいで暮らしているから。とか。

(母)お墓はこうしたいと思っているからアンタも承知しといて。とか。

(父)なばなの世代は今後年金がどうなるか分からないから、蓄えよ。とか。

・・・そうか、そうなんだな、と思う話ばかりで、私は初めて両親の暮らしぶりと言うものを知りました。

両親とはこれまではこうやって踏み込んだ話を出来るような関係性ではありませんでしたし、話が出来る日が来るとも思ってもいなかったので、話せたことは私たち親子にとっては大きな1歩になった気がします。

そして、それだけ両親が「年老いた」と言うことでもあるのかもしれません。

両親が年老いて行く時間を止めることは出来ないわけですし。

私はもうそろそろ、両親と「会うのが恐怖だ」とか言っている場合ではないのかもしれません。

そんな風に思った、今日一日でした。

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