私は一人っ子なのですが、この歳になって今更ではありますが「自分は一人っ子で良かったかも」と思うようになりました。
一人っ子のイメージ
私が子供の頃は、一人っ子、一人娘、と言うとちょっと羨ましがられました。
昔は、一人っ子のイメージって
「一人っ子って、欲しいものは何でも買ってもらえるんでしょ~?」
「一人っ子で女の子なら、もの凄く可愛がられているんでしょ~?」
なんて感じに思われがちだったのです。
ですが、これらのイメージを裏返せば
「チヤホヤされてワガママ放題で育ったんでしょうね。」
「甘やかされて育ったから我慢することが出来ない子なんだろうなぁ。」
なんて、ちょっと残念なイメージを持たれがちな時代でもあったんですね。
でも、実際にイメージのまんまで育ったような一人っ子の人もいましたからね、総じて「一人っ子とはワガママ」と言ったイメージが広がってしまったのでしょう。
毒親育ちの一人っ子の現実
でも実際の私は、良くも悪くも一人っ子の特権のような手放しで可愛がられたり甘やかされるような事は全然ありませんでした。
なぜなら、毒親育ちだからです。
躾と言うにはかなり度を超えている厳しい毒親のルールの中で暮らしていたものですから、親に甘えたり頼ったりは出来ませんでした。
子供なりに困ったり凹んだりすることがあっても、子供の頃からずっと自分1人で何とか乗り越えるしかなかったので
「なばなちゃんって、一人っ子なんだぁー!イイなぁー!」
なんてことを一人っ子のイメージだけで言われたりすると、正直心の中でムッとしましたし、「一人っ子なんてクソくらえ!」と思っていました。笑
そんな私が、なぜ今になって「一人っ子で良かったかも」と思うようになったかと言いますと。
【毒親の特徴】子供と他人を比べる
以前ブログでも書きましたが、毒親の特徴の1つに
『子供と他人と比べる』(きょうだい間や他人との比較・差別など)
と言うものがあるからです。
もしも私にきょうだいがいたとして。
私ときょうだいが比較されて、きょうだいが溺愛されて、私が差別を受けたとしたら。
365日24時間、比較されて差別され続けた毎日だったとしたら。
考えてみたら、心底ゾッとしたのです。
それはもしかしたら、一人っ子で毒親である母に執拗に監視されて辛かった日々よりも、さらにもっと辛い日々になっていたかもしれないと思ったからです。
もしくは、その逆の仮説の可能性も。
もしも、私が溺愛されて、きょうだいが差別を受けたとしたら。
私はきょうだいが受ける差別を毎日のように目の当たりにして、恐怖のあまり父のように自分に火の粉が降りかからないように見て見ぬフリをして過ごしてしまったかもしれません。
もしもそんな人生を送ってしまったら、私は本当に性根の腐った人間になっていたか。
もしくは、一生罪悪感に苛まれて生きていくことになっていたと思うのです。
きょうだいがいてくれたらと、ずっと思っていたけれど…
これまでの人生の中で、私は数えきれないくらい何度も「きょうだいがいてくれたら・・・」と思ったことがありました。
なぜなら、私の他にもう1人とか2人きょうだいがいてくれたら、母の監視の目が私1人に集中することなく分散してくれるんじゃないかと考えました。
それに、両親と私の3人家族の暮らしの中では父はほぼほぼ母の言いなりなので、私の気持ちや考えを伝えても、いつも「両親2人 対 私1人」の構図になるし、近所に第三者的な祖父母や親戚がいたわけでもないので、私はどうしたって1人で立ち向かって耐えるしかなかったからです。
そんな時、せめて私と同じ気持ちと立場で両親に立ち向かってくれるきょうだいがいてくれたらなぁと思っていたのです。
でも…
今になって、きょうだいがいることでさらに辛い結果になったかもしれない可能性を考えたら、実は「一人っ子で良かったのかもね」と、ぼんやりとそんなことを思ったのでした。
今現在、きょうだい間や周りの人と比べられて辛い思いをしている人がいるかもしれません。
でも毒親と言うものは、あなたがどんなに頑張っても認めてくれたり手を緩めてくることも決してありません。
ただただ、子供の辛い気持ちを栄養源にして満たされるだけの人種です。
なので、そのような人種の言葉は心の中に入れてしまうことなく、一刻も早く離れられるように、その時のために勉強や目標に向かってどうか頑張って備えて下さい。
自立は毒親から逃れられるチャンスなのです。
一刻も早く毒親から離れることは、自分の幸せのためでもあるのです。
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