私は今でこそ、母のことを毒親だと認識し、昔のことを冷静に振り返えられるようになり、その母との暮らしで経験したことが今まさにつらい思いをしているどこかの誰かの参考に少しでもなってくれたらいいなと思ってブログに体験談を書けるようになりました。
でも生活面では、ちゃんと食べさせてもらって、ちゃんと学校にも行かせてもらって、ちゃんと育ててもらったので、毒親と認識してはいるけれど公に「母は毒親です」と言うのは、実は罪悪感があるのです。
ちゃんと育ててもらった事実
以前、両親は立派な社会人であり立派な主婦であることを「はたからは気づかれない毒親のいる家庭内のこと」で書きました。
そして母は、今でも立派な主婦をしています。
掃除・洗濯・片付け・料理、歳を重ねた今でも昔と変わらず毎日几帳面にやっているようで、頭が下がります。
私はそんな母のいる家庭で、いつもきちんと掃除された衛生的で綺麗な家で生活をさせてもらっていたし、洋服もいつも綺麗に洗濯して畳んで箪笥に入れてもらっていたし(子供の頃は)、食事も毎日手料理を食べさせてもらっていました。
そして父も、お酒はほどほど、ギャンブルと言ってもたま~にパチンコに行ったくらいで、定年まで本当に真面目に働いて、家を建てて、家族も養ってくれました。
社会人として立派だなと、本当に思います。
子供の頃は、夏休みには家族旅行に連れて行ってくれたこともありましたし、時々一人っ子である私の遊び相手にもなってくれました。
私がまだ幼くて母が毒親としての本領を発揮する前は、父も朗らかで楽しい人だったなと思い出します。
そのように色々やってもらった事実は私も忘れていないですし分かってもいるので、大人になった今となっては尚のこと、ちゃんと育ててもらったことを素直に感謝出来たらいいのになと心底思ったりするようになりました。
私がつらかったのも事実
だけど、外面がとても良くて内弁慶である毒親の母の、家の中ではいつ雷が落ちるか全く予測出来ない雷雲のような気分のムラや、突然落ちる雷のような怒りの爆発を、私がサンドバック代わりになって心へ暴力を受け続けていたことも事実です。
そして、私の成長と共に毒親である母から日々理不尽に苦しめられるのがエスカレートして行きましたが、父は私の事は基本的に母に任せてあると言うスタンスで、自分に母の怒りと言う火の粉が降りかからないよう見て見ぬフリをしていただけで、ほとんど助けてはくれませんでした。
つまり私は、母からはサンドバックとして、父からは母からの火の粉が降りかからないための盾として、存在していたのです。
身体的な暴力(顔を平手打ちされる・髪を掴まれて引っ張られる・そして倒れた時に足で踏み蹴られる)はたまにありましたが頻繁ではなく(←まぁ、頻繁でなければ良いってことはないでしょうけど)、私が一番苦しかったのは何と言っても「心に受ける暴力」でした。
私の中の罪悪感
家族以外の人からすれば、私がいつも外見的に暴力を受けて怪我をしているわけでもないですし、何不自由なく衣食住を与えてもらい、学校へ通わせてもらって、何の問題も無いように見えていたと思います。
事実、心の暴力以外は、本当に何の問題も無く育ててもらいました。
そして私は大人になるまで成長して今もこうやって生きているのですから、本当ならそれだけで感謝すべきなのでしょう。
でも、心に深く刻み込まれた傷は今だに簡単に消すことも出来ずにいます。
だから本当は、自分の親が毒親なんかであって欲しくはなかったです。
でも、毒親だったと言う事実。
そのことを自分の中できちんと認識しないことには、前へ進めなかったですし。
でも、認識してもなお、罪悪感を感じる私。
この葛藤・・・分かっていただけますかね(^^;
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