自分が見ていた景色や時代が消えていく

エッセイ

最近、自分が見ていた景色や時代が消えて行く感覚が、少し寂しいなと思うようになりました。

想い出の街

私が新卒で就職した会社は、銀座線の外苑前駅からスタジアム通りに出て、すぐの所にある酒屋の角を曲がって細い通りを少し行ったところにありました。

大通りから少し入った細い通りの左手には、寿司屋やちょっと格式が高そうな割烹料理の店があり、右手にはヤクルトの販売所やミルクレープの専門店があったり、会社の正面には古いけど昔はとてもお洒落だったんだろうなと思われるいかにも青山ですって感じのマンションが建っていて、周辺の雰囲気はとても良くて環境的にも比較的静かだったので、会社が入っていたビルはかなり古かったですけど、私はとてもその会社の場所が気に入っていました。

でもそれから2年ほどして、ビルの老朽化のために会社が自社ビルを建設して移転したため、一旦は外苑前駅から離れることになりました。

さらにそれから1年ほどして、私は転職しました。

すると、新しい勤め先がなんと偶然にも、外苑前駅のスタジアム通りにある見覚えのある酒屋の前をほんの少し真っすぐ行ったところにあって、再び外苑前駅への通勤が始まったのでした。

前の会社のビルがあった所と目と鼻の先です。笑

一番最初に就職して通勤していた街に戻って来た時は、やっぱり懐かしい気持ちになりましたね。

それから私はその会社では5年ほど働いたので、外苑前駅へは通算で7年ちょっと通勤したのでした。

社会人になって20代の多くを同じ街で働いていたのですから、私にとっては、外苑前・青山・表参道・原宿・渋谷あたりは、会社帰りの散歩道としても懐かしい場所として想い出に残っています。

想い出のカフェ

そんな外苑前駅周辺ですが、近年はラグビー観戦で秩父宮ラグビー場へ行ったり、神宮外苑いちょう祭りでいちょう並木へ行ったりした時に、ついでに懐かしの街をぶらぶらと散歩したりするくらいです。

でも、そうやってたまに行く度に、あそこにあったビルが姿を消したな…とか、あの美味しいお店が無くなっちゃったな…とか、どんどんと私の知っている景色が消えて様変わりして、自分が見ていた景色が消えていくのです。

場所こそ変わっていないけど、もうほとんど知らない街になったなって感じです。

でも以前、国立競技場へ行った時に私はあえて都営大江戸線の国立競技場駅から電車に乗らずに、散歩がてら外苑前駅方面へ歩いて行きました。

なぜなら、外苑前駅からほど近くの裏路地にある私がお気に入りだったカフェがまだ現役で営業していることを知って、久しぶりに寄ることにしたのです。

このカフェに私が初めて出会ったのは、もう30年近く前のことです。

当時は、珈琲や紅茶の美味しさもさることながら、飲み物を頼むとオーナーである少し年配のとても気さくな感じの品の良い奥さんが手作りクッキーを1つ添えて出してくれて、これがまたとても美味しかったし、席数も少なくて知る人ぞ知ると言った感じの落ち着いた雰囲気の素敵なカフェだったので、私もお昼休みなど足しげく通ったものです。

青山界隈でも見慣れたお店が消えては新しいお店が出来て入れ替わりが激しいのに、同じ場所で変わらずそこにあり続けてくれているカフェの存在が、私にはとても嬉しかったのです。

消えていくもの、未来に残すもの

でも、久しぶりに訪れてみたら、カフェの場所も建物も昔と変わっていませんでしたけど、お店の人の雰囲気も、接客も、お客さんの層も、メニューも、何もかも違うお店になっていました。

今どき、と言えばそれまでですけど、私が好きだったカフェの面影は全く無くなっていて、本当に好きなお気に入りの想い出のカフェだったからこそ、余計にちょっとガッカリしちゃったりしてね。

時代と共に変化したこのカフェが悪いわけではないのは頭の中では分かるんだけどね、私はたぶん、もうこのカフェに行くことは無いだろうな。

消えて行くのは、見慣れた街の景色だけではなくて、自分が昔いたその時代も過去のものとなって消えていくんだなって感じたのでした。

年齢を重ねると、こんな寂しさを味わうんだなって、50代になって1つ分かりました。

でも、人生はもう100年時代らしいじゃないですか。

っと言うことはですよ、今私が見ている景色を懐かしいなと思う数十年後があるかもしれない。

そう思うと、今のこの時代の景色を目に焼き付けて未来の自分に残しつつ、せいぜい今をしっかり楽しんでおかねばね~と思ったりもしたのでした(^^)

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