私の毒親育ちの特徴

エッセイ

私の母は、毒親です。

と言う事はつまり、私は「毒親育ち」です。

毒親育ちの特徴あれこれ

一言で「毒親」と言っても、本当に色んなタイプの毒親がいますし、幾つものタイプを持ち合わせている複合型の毒親もいて、私の母も複合型の毒親です。

なので、一言で「毒親育ち」と言っても、これもまた然り、色んなタイプの毒親育ちがいるんじゃないかなって思います。

例えば、子どもの言動を否定する毒親のもとで育った人は、自分に自信が持てなかったり。

子どもを支配する毒親のもとで育った人は、自分の気持ちを押し殺して出せなかったり。

子どもに罪悪感を植え付ける毒親のもとで育った人は、期待に応えようと無理しがちだったり、楽しむことに罪悪感を感じたり。

過保護な毒親のもとで育った人は、人や物に依存しやすかったり、自発的に行動が出来なかったり。

過干渉な毒親のもとで育った人は、いつも人の顔色を伺ったり。

例を挙げればキリがないくらい、毒親も、毒親育ちも、多種多様なのではないかと思います。

私の毒親育ちの特徴「自分よりも他人を優先してしまう」

そして、数ある毒親育ちの特徴の中の1つに「自己犠牲」と言うものがあって、実は、これが私の毒親育ちの特徴でした。

自分よりも他人を優先してしまうのです。

年がら年中母の機嫌や様子をうかがいながら暮らしていた私は、どうすれば母の怒りの波風を最小限に出来るか?と考えると、それはやっぱり、私が我慢すれば済んだり、私がやれば済むことがほとんどだったので、そうやっていつの間にか身につけた家の中で生き残るための手段を、無意識に家の外の人間関係でもやってしまっていたのでしょう。

今はもう、私も過去の自分を振り返って「自己犠牲タイプ」だったんだなって認識して、それは自分でも良くなかったなと思っているので、なるべくそうならない自分になろうと心がけていますけど、昔の私は、それが毒親育ちの特徴だなんて知らなかったし、無意識にやっていたことでしたし、なんだったら良かれと思ってやっていたことだったんですよね。

当時の私は「友達は大切だから、私が出来ることならやってあげよう。」みたいな、自分的には優しい気持ちのつもりで、自分のことよりも友人のことを優先にしていましたし。

仕事も、私が頑張りさえすれば職場の問題も減るだろうし、それで人間関係もスムーズになるならそれでいいと思って、嫌な顔もせず仕事を引き受けて無理してでも頑張っていました。

学んで、これからの人生に生かしたい

その結果は、とても残念でしたけど、私が思っていたような人間関係は築けませんでした。

友人知人たちからは、「なばななら聞いてくれる」「なばなならやってくれる」みたいな、一見とても信頼されているかのように思われるかもしれませんし、私自身もそう思っていたんですけど、でもそうではなくて、信頼と言う名でカモフラージュされた「giveを求められるばかりの存在」になってしまったんですね。

give and takeではなく、give、give、give、give・・・

そして友人知人たちも、次第にgiveしてもらうのが当たり前みたいになっていて、気付いた頃には、私は友人知人たちにとって友達ではなく、都合の良い存在になってしまったなと気付いたのでした。

そしてそれは仕事でも同じで、私が頑張れば頑張るほど「あの人に言えば済む」「あの人にやってもらおう」みたいなことになっていって、いつの間にかそれが当たり前のことにされて、認められるどころか感謝もされないと言う私的には残念な状況になったのでした。

その事に気づいた当時は、なんだかな…と落ち込んだり、悲しくなったりもしました。

でも、後になって落ち着いて考えてみましてね、そうさせてしまったのは全部とまでは思いませんけど大なり小なり自分の責任でもあるなって思ったんですよね。

私が、無理なことは無理、嫌なことは嫌とちゃんと言えて、もう少し自分を大切に出来てさえいれば、こんな雑な扱いを受けなくて済んだだろうと思うのです。

 

こうして、私は無意識のうちに毒親育ちの特徴のせいで、報われなかったり残念な結果を経験してしまいました。

でも、せっかく?そんな残念な経験をしてしまったからには、過去を残念がってばかりいても仕方ないので、せいぜいこれからの人生に生かせるように心がけて、私の毒親育ちの特徴を克服していけたらいいなぁと思いますね(^^)

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