毒親に危機感を持つようになったキッカケ

毒親について

一言で「毒親」と言っても、毒親には色々な特徴があって、そんな毒親の特徴の中の1つに『子供の全てを知ろうとする(過干渉・監視)』と言うものがあります。

私は毒親である母のこの特徴のせいで、かなり自由の無い窮屈な思いをしながら生きてきまして、このことについては過去のブログ記事にも「私の成長とともに日常の妨害行為や粘着ともいえる毒親っぷりが酷くなっていき、とても辛く苦しかった」と書いたことがありました。

毒親っぷりがエスカレート

その言葉の通り、幼少期より10代、10代より20代、学生の頃より社会人になってからと言った感じで、私の全てを知ろうとするあまりに監視して行動を制限して束縛する母の毒親っぷりはどんどんエスカレートして行きました。

そんな母の言い分は、「友達なんて作らなくていい!」「あれはダメ!」「これもダメ!」「こうしろ!」「ああしろ!」「学校・会社が終わったら、寄り道せず真っすぐ帰って来い!」「どこにも出かけなくていい!」などなど、書ききれるような数ではありません。

でも、もしも私が母の言う通りに生きたとしたら、私は1人の学生として社会人として人間として生きることが出来なくなってしまうので、周りの人からは家庭の事情を悟られない程度に学校生活も友達付き合いもしたし、社会人として仕事を頑張り人付き合いもして、人並みに生きようとしました。

でも、私が人並みに生きようとすればするほど、それが気に入らない母はいちいち私の前に立ちはだかり、私が何かを頑張ろうとか楽しもうとかする度にいちいち邪魔をしてくるし、それでも諦めずに人並みに生きようとし続ける私に年がら年中怒りみなぎらせて感情をぶつけてくるしで、親子関係としては悪循環の一途を辿りました。

こうして、母の私に対する怒りやイライラや憎しみや不満みたいなものがどんどん膨れ上がって、20代半ば頃のことです。

私は心の奥で、頭の片隅で、でも本気で、「もはや母は何をしてくるか分からない。気を付けておかないと…」と思うようになりました。

なんて大袈裟なことを言うんだ!(笑)と思われるかもしれないけど、そう思うようになったキッカケとなった出来事がありました。

キッカケ

あれは、ある日の晩ご飯の時のことでした。

母はいつものように、私には原因も理由も分からない怒りと不機嫌さをみなぎらせていて、家族3人の食卓は静まり返っていました。

母は怒り心頭と言った様子だし、父はそんな母の様子を感じ取って黙ってやり過ごそうとしているし、私は母の様子を気にしていないフリをするためにテレビの画面を必死に見ながら目の前の料理を口に運んでいたけど、異様ともいえる母の雰囲気にテレビの内容なんて全然頭に入ってこないし、料理の味だって分からないくらい緊張していました。

そして突然、静かな食卓に響く

「チッ!」

と言う母の舌打ち。

そして次の瞬間、食卓のテーブルを挟んで私の正面に座っていた母が立ち上がり、持っていた箸をグーで握り直して振りかざし、私の頭めがけて振り下ろしてきたのです。

箸は私の額と鼻の先にちょっと触れたものの、幸いテーブル幅もあって、かすめて通り過ぎていったので、私は無傷で済みました。

父の助け

想像もしていなかった一瞬の出来事で、私は何が起きたのかすぐには理解出来ずにポカンとしてしまったのですが、次の瞬間、父が「何やってるんだっ!!」と声を荒げて母を叱りました。

ここでちょっと話はそれてしまいますが、これも過去のブログ記事にも書きましたが、父は基本的には私の事は母任せで、日々母の矢面に立つ私のことは見て見ぬフリでほとんど助けてくれませんでした。

それでも、人生の中で何回か母から私を助けてくれたことがあって、この箸で刺されそうになった時がそのうちの1回でした。

私のことをかばってくれたのか?それとも母の行動そのものを叱ったのか?は分かりませんでしたが、父が母に刃向かうなんてめったに無かったので、私は父が母に対して声を荒げた事の方が驚きで、母が私にした事が一瞬頭の中から飛んだほどでした。笑

そして、話は元に戻りまして。

父に叱られた母は、私と父に対してしばらくの間、本当にワケの分からない事を喚き散らしていましたが、まぁ、それらを要約すると、「本当にどうしようもない奴らだ!アンタたち親子はそっくりだ!お前たちなんかろくな死に方しないからな!」みたいな感じ。

理由も、根拠も、理屈も、何もない母の爆発。

そして、普段は私を矢面にして隠れていた父もこの日ばかりは隠れることも出来ず、母の怒りの爆撃を受け続けたのでした。

親だとしても許されることではない

その後、食事を終えて自分の部屋に逃げ込んで、1人になってから冷静になって、ふと思いました。

もしも母が振り下ろした箸が頭や顔に刺さっていたら、私、生きていたかな?

生きていたとして、病院へ行って「どうしたんですか?」と先生に聞かれて、私が「母に箸で刺されました。」と答えたら、母は殺人未遂の罪で捕まってもおかしくなかったなと。

この一件があって、それまでの私は何とか親子関係を良い状態に戻せないかと思ってやれるだけの事はやっていたのですが、「もう私に出来ることはやりつくしたな・・・もう疲れたな・・・もう無理だな。」と諦めがついたと言いますか、やっと気付いたのです。

そして、「自分の身は自分で守らなければ」と心の中で思うようになりました。

たとえ寝ている間でさえも「もしかしたら母が包丁を持って部屋に入ってくる可能性はゼロではない」と、万が一の事を頭の片隅で想定しながら暮すようになったのでした。

今はもうすっかり過去の話になったので、こうやって淡々と話せるようになりましたけどね。

でも改めてこうやって思い返してみると、母は私の親だけど、人として間違ったことをしたと思いますし、どんなに過去の話になっても、私はやっぱりこの出来事は忘れることは出来ないなとも感じます。

忘れられたら、どんなにか楽なのにね。

 

毒親と暮らしている人はなかなか自分では気づけないと思うのですが、例え自分の親だとしても、社会的にはただの1人の人間であって、自分の親だから何をされても仕方ないなんてことは無いのです。

そこに気付けるとが大事だと思います。

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