私は嘘をつく子供でした

毒親について

人間、生きていれば誰でも「噓も方便」とか「時と場合によっては」とか、嘘をつく事もあったと思いますが、私は、かなり嘘をつく子供でした。

なのですが、元々の私は良くも悪くもあまり要領の良い人間ではないので、最初から人を疑ってみることが出来なくて、人の悪意みたいなものにもなかなか気づかなくて、わりと裏表無く真っ正直に接しては、しばらくしてから人の本音に気付いて撃沈するようなことが多いです(^^;

これは、毒親育ちの私の特徴が大きく影響していたんだろうなと思っています。

そんな私がどうして「かなり噓をつく子供」だったのか?

それは、1人の人間として普通に生きたかったから。

嘘は、普通に生きたいと思う私の手段だったのです。

 

私の母は毒親で、本当によくもまぁ飽きないよねぇ~と思うほど日々の私の行動や交友関係を重箱の隅をつつくように監視していて、何かにつけて行動を管理しようとしました。

親ならば皆さん子供にはこう育って欲しいと願う気持ちがあるのでしょうし、私には子供はおりませんので「親が子供を思う気持ちなんて分からないでしょ?」と言われれば確かにそうかもしれないので、あの頃の母が私に粘着していた気持ちは、私には未だに分かりません。

でも、もしもあの頃の私が母の言う通りに生きていたとしたら、友達も作れないし、どこにも出かけられないし、ただただ学校や会社と家の往復するだけの毎日で、それ以外は母の目の届く外とは遮断された家の中で何の自由も無く生きることになっていた、と言う事は事実でした。

なので、例えば、学校や仕事の帰りに寄り道して帰ってきて、母から「どこほっつき歩いてたんだ?!」と聞かれれば、「真っすぐ帰ってきたって…」と嘘をつき。

サークル活動(元吹奏楽部⇒軽音)に参加したら、母からは「サークルなんて辞めなさい!」と頭ごなしに言われサークルの集まりや練習に行けなくなりそうになって、練習がある日は「勉強しに図書館へ行ってくる…」と嘘をつき。(後に母に力づくでサークルは止めさせられましたが…)

お付き合いする人が出来た時は、母のイライラと監視行動があからさまになったと言うか、えげつなくなってどうにも身動きが取れなくなった私は、出かける時は「〇〇さん(⇦友達の名前を使わせてもらった)と出かける~」と嘘をつき。

等々、日々このように小さな嘘を重ねて、私は1人の人間としての自由を確保して生きてきました。

 

普通であれば、学校帰りに友達とちょっと寄り道したりおしゃべりしたりすることだって、サークルの集まりに参加することだって、そんなことでいちいち嘘をつく必要なんてないじゃないですか。

ましてや、1人の人間として成長してお付き合いをすることになった人が出来たって、相手が何か問題がある人でない限り、別に普通のことじゃないですか。

でも、毒親の母にとっては、そんな私が何一つ許せなかったんだと思います。

だから、私の人生の全てにいちいち立ちはだかって、邪魔をしたり、ねじ伏せ続ける。

なので私は、当たり前なことを当たり前に出来ている同世代の人たちが、とても羨ましかったです。

それに、私だって嘘なんてつかずにありのままの私で生きられたらどんなに幸せだろうなと思っていました。

家で親に友達や学校のことを話したり、彼氏が出来たんだ~なんて紹介したり、ごく普通の話として話せたらいいなぁと数えきれないほど思いましたけど、でも私は嘘をつかなければ、周りの同級生や友達が当たり前のように自由に出来ることも出来なくて、母の監視と束縛をかいくぐるために日々嘘をつく必要があって、私も必死でした。

 

でも、そうやって日々嘘をついていると、時々、私の行動を監視し続けている母にどうしてもバレてしまうことがあるのです。

そうなると、母的には「人間、嘘をつくことが一番ダメなんだ!」と激高するし、「お前はすらすらと嘘を平気でつけるどうしようもないヤツだ!」「また嘘をついて!」と、全て私が悪くて、私の性根が腐っていると言うことにされます。

まあ、確かに「嘘をつくことは良くない」と言う言葉だけを聞けば、確かに「ごもっともです」と思いますけどね。

でも、言い訳にしかなりませんけど、私は私を守るためであり、「私に嘘をつかせていたのは母」だと言うことは、母は全く気付いていないし、言ったところで理解することも出来ないでしょう。

母の中ではどんな理由があったとしても「嘘をついた」「嘘をつく」人間が悪でしかないのです。

説明をしたところで、娘の話や心に耳を傾けてくれることも絶対にありません。

こうして私は、私の人生や人格を守るために嘘をつく子供になったのでした。

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