私が「年賀状じまい」してみた結果

【日々の暮らし】

実は私、今年のお正月の年賀状を最後に「年賀状じまい」しました。

近年、本当はもう年賀状を出さないつもりだったみたいなのに私から年賀状が届いちゃったからだと思うんだけど、七草がゆの頃になってから年賀状と言うより年賀状の返事?みたいにいただく人もいたし、「年賀状じまいします~」とご連絡をいただいた人もチラホラいて、私も年賀状じまいしようかなと思い始めたのです。

ちょっと勇気のいる作業でしたが、思い切って決断してみれば、意外と色んなことがクリアになりました。

毎年年末が来る度に頭を悩ませていました

ここ数年、私は毎年年末が来る度に年賀状のことで頭を悩ませていました。

一番悩んだのは、「誰に年賀状を書くか」です。

日頃会えないからこそ、せめて年賀状だけでも続けようかなと思っていたけど、何というか…

年齢を重ねるにつれて、日頃からコンスタントに連絡を取り合える友人知人も自然と絞られてきた反面、年賀状だけの繋がりの人も増えてきまして、そーゆー年賀状だけの繋がりの人(例えば、知り合い程度の人とか、以前職場で一緒だっただけの人とか)とは、日頃「なかなか会えない」と言うより「会うほど仲良くはない」し、これからもたぶん「会うことは無いだろう」と思うんですよね。

なのに年賀状だけを続けて社交辞令のように 「 今年は会いたいですね。 」 なんて書いたり、書いてただくのも、私の中で何だか微妙だったのです。

でも、私もいつの間にやら50代です。

もうそろそろ、自然と絞られてきた交友関係は素直に受け入れて、区切りを付けても良いかなと思うようになりました。

もちろん私も、なにも続いているご縁を無理やりぶった切ろうとするワケではなくてですね(笑)、半分は自分の意志として年賀状じまいを伝えて、あとの半分はそれを受け取った方に今後の私との付き合い方を決めていただくことにしたのです。

人付き合いなんて、相手あってのものですからね、決断の結果を自分一人で背負いこむこ必要はないかなって。

いざ、年賀状じまい

こうして私は、今年のお正月の年賀状を最後に年賀状じまいをすることにして、その旨を皆さん1人1人に手書きで年賀状に書いてお伝えしました。

ちょっと大袈裟な言い方になるけど、私が年賀状じまいすることで、もうこれっきり今生の別れになる人も絶対にいると思ったから、それはもうちゃんと手書きで丁寧に書きましたよ。

せめてもの私の誠意とでも言いますか。

そしてお正月休みも終わり、1週間が経った頃。

  • いつも通り元旦に年賀状をくれた人もいたり。
  • いつも元旦に年賀状をくれていたけど今年は年賀状が来なかった人もいたり。(つまり、私が年賀状じまいするとかは関係なく、今年の年賀状から自然とフェイドアウトする形で年賀状じまいをされた方が増えてきたのかもしれません。)
  • そして、毎年私からの年賀状が届いてから返事を書くように年賀状を書いてくれていたと思われる方の多くは、今年の私の年賀状じまいの便りを見てだと思いますが、そのまま今年の年賀状から来なくなったり。
  • かと思えば、年賀状じまいする代わりに年賀状に書いておいた私の連絡先に、さっそく久しぶりに連絡をくれた人もチラホラいたり。
  • 年賀状じまいをすることで状況的にご縁も切れてしまうだろうけど、「今まで本当にお世話になりありがとうございました。どうぞお幸せに元気でいて下さい。ご多幸を心よりお祈り申し上げます。本当にありがとうございました。」と最後にご丁寧に年賀状をいただいた人もいたり。

悲喜交々。

私が人生の折り返しを機に一旦一区切りを付けるべく年賀状じまいを選択したように、皆さんも皆さんなりの私との今後の関わり方を選択してくれたのかな、と思います。

どちらにせよ、考えて決めていただいたこと、感謝だなと思う今日この頃です。

そして飲み仲間からは…

そして、年に数回コンスタントに会っている飲み仲間からは年賀状は来なかったのですが、お正月からだいぶ経ってから寒中見舞いが届き「めちゃめちゃ寒い日が続いてますがいかがお過ごし?年賀状からのシフトチェンジは全く問題なしです。また近々美味しい物を食べに行きましょう。」と。笑

私の年賀状じまいについて、1人また1人とそれぞれのタイミングで返事をいただいて、本当にありがたい限りでした。

そして、彼女の「近々美味しい物を食べに行きましょう」は絶対に社交辞令ではなく本当に近々美味しい物を食べに行くぞ!と言うことなので、寒中見舞いが届いた翌週にさっそく飲みに行ったのでした。

ありがたいねぇ。

スポンサーリンク

コメント

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました