世の中には、雰囲気そのものが朗らかだったり、程良くユーモアがあったり、自分の弱い所もそこそこ人に見せることが出来たり、人に気を使わせないような心遣いができたりと、とってもナチュラルな人がいたりしますよね。
そんな人は、本当に魅力的だなぁと思いますし、私もそういう人になれたらいいのになぁと憧れます。
でも、傍から見ている私からは、そういう人たちは生まれ持った性格のように見えたり、無意識にやっている行動が素敵なんだろうなと思えてしまうので、そのナチュラルさが凄く羨ましく感じてしまうのですが。
人間、そうそう完璧な人なんていないような気がするので、素敵な人に見えるには素敵な人に見えるだけの努力を人知れず続けているんだろうなぁと思いました。
何の努力もなしに素敵な人でいるわけではなくて、日々「そういう人でいよう」と心がけていて、努力し続けている結果が魅力的な人に見えているのではないかと。
そう考えたら、思わず羨ましく思うばかりの自分の至らなさを反省する気持ちがむくむくと湧いてきまして、頭をポリポリとかいてみたり(^^;
あと、私は芸人さんの若い頃にやった破天荒な事をしたエピソードなんかを聞くと、ちょっとビックリするようなエピソードだったとしても、それでもなぜか笑えてしまうんですよね。
例えばですね、我が家が夫婦そろって大好きな「ゴリパラ見聞録」と言う番組の中で、パラシュート部隊の斉藤さんが高校生の時に授業中に大仏のお面をかぶって3階の教室のベランダからロープでミッションインポッシブルみたいに降りてきて先生たちを驚かせた、なんてエピソードを当時の担任だった先生と思い出話でしていて、私はお腹を抱えて大爆笑してしまいました。
そんなことをしても嫌われず憎まれず可愛がられる人柄に憧れますし、その破天荒さを笑いに変えられるだけの技量と頭の回転の速さがあるからこそ芸人さんになれたんだろうなぁと思ったのです。
でも、そんな芸人さんのエピソードを、例えばですよ、自分がやったこととして頭の中で置き換えてみたとします。
すると、そのお腹を抱えて大爆笑するほど面白いと思ったエピソードが途端に、ありえない!出来ない!無理!想像すらできないシチュエーションになってしまいます。
そして全く笑えないエピソードのようになってしまうのです。
私にはそんなことが出来る度量もなければ、まかり間違ってやったとしても、絶対に呆れられるだけと言う現実が立ちはだかって、自分が人を笑わせている情景すら想像することが出来ないです。
そんな、私には絶対に無理なことを、いとも簡単にやってのけたいつもテレビで何気なく見ている芸人さんの凄さを、改めて実感してみたりしています。
茶をしばきながら、憧れる人と自分の理想と現実をとりとめもなく考えたりして、54歳にして己の未熟さを思い知ってみたり。笑
人生の修業はまだまだ続きそうです、はい。
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