【遠方に住む親が他界した時に大変だった事】その2.他界された日のこと

【両親のこと】

遠方に住む親が病気になった時、入院生活が始まった時、遠方で暮らしていることによる弊害や問題があることを実感しましたが、他界された時もまた、弊害や問題は大なり小なりありました。

それに加え、先に他界されお義父さん時と、その後に他界されたお義母さんの時では、息子である夫がやるべきことの量や責任の重さがかなり違いました。

今日から少しずつ【遠方に住む親が他界した時に大変だった事】を、私たち夫婦が経験したことを踏まえながらご紹介してみたいと思います。

義父の時と義母の時の状況の違い

まず、お義父さんが他界された時は、まだお義母さんが元気でお義父さんの看病のことも亡くなられた後のことも全てお義母さんの思うようにと言いますか、お義母さんがお義父さんにやってあげたいように自由に取り仕切ってくれていたので、息子である夫は何事もお義母さんの指示に従って動くだけで済みました。

お義父さんが息を引き取られたのも、お義母さんの看病のおかげでお義父さんの希望通りご自宅である実家だったので、ご遺体は急いで移動させる必要もなく、ひとまずはお義母さんや近所の親戚にお任せして私たちは実家へ駆けつけるだけでしたし、お義父さんの生前のご意思でご遺体は大学病院へ献体として運ばれたため、慌てて葬儀の準備をする必要もありませんでした。

その後の役所の手続きも、ある程度は息子である夫も手伝いましたが、一度で終わらすことが出来なかった残った手続きは、私たちが帰った後にお義母さんが全てつつがなく済ませてくれました

 

でも、お義母さんが他界された時は、お義父さんも既に他界されていて兄弟もいない夫が、一人で全て終わらせる必要がありました

お義母さんは病院で息を引き取られたので、その日のうちにご遺体を病院から別の所へ運び出す必要がありましたし、献体されたお義父さんの時とは違って急いで葬儀の準備をする必要もありました。

もちろん、お別れの後の役所などの手続きも一人息子の夫にしか出来ないことなので、葬儀の後すぐに手続きに取り掛かる必要がありましたし、さらに、両親2人とも他界されて住む人がいなくなった賃貸物件の実家の後始末をする必要もありました

1つの家庭の生活を全て終わりにさせると言う作業は、思いのほか責任も重く、大変な作業でした。

義母が他界された日のこと

遠方ですぐに移動することが出来ない

2017年1月12日(木)の夜中の3時半、高知の親戚から「お母さんの様態がおかしいからって先生に呼ばれて、今、病院に来ているから。」と電話が入り、私たちもすぐに病院にかけつけたいところでしたが、飛行機も電車も動いていない夜中に、埼玉県に暮らす私たちがすぐに高知に移動することは出来ませんでした

そして残念ながら朝5時半、再び親戚たちから電話があり、お義母さんが息を引き取られたことを知りました。

夫は、お義母さんの入院生活の間に「覚悟は出来ていた」とは言っていましたけど、やっぱり多少の動揺はしていて可哀そうでしたが、とにかく高知へ向かう準備をしなければならないので、気落ちしている暇はありませんでした。

心構えをしていたつもりでも、いざと言う時は本当に突然やって来たような感じでした。

急遽ペットたちを預かってもわらなければならない

朝から礼服の準備をし、夫は仕事の引継ぎをするために礼服など持てるだけの荷物を携えて一旦会社へ向かい、私はその間に、当時我が家にいた愛犬とセキセイインコの預かり先を急遽探す必要がありました。

申し訳なく思いつつも愛犬がいつもお世話になっていたペットホテルに朝っぱらから電話をして事情を説明したところ、ありがたいことにお店が休みの日だったのにも関わらず預かっていただけることになり、ひとまずタクシーで愛犬をペットホテルに送り届けて自宅に戻り。

次に、近所の友人に連絡を入れて事情を説明して、セキセイインコを預かってもらえないか相談したところ、わざわざ仕事を午前中半休して鳥かごや餌やヒーターなどをマンションまで車で受け取りに来てくれたのです。

突然の無理なお願いでしたが、ペットホテルや友人に助けてもらって、本当にありがたかった瞬間でした。

我が家が急に家を空けることになった時、一番慌てたのは、小さい家族たちのことでした。

このような時のために、ペットを飼われている方は前もってペットホテルや身近な方にお願いしておくと安心かもしれません。

最後まで親戚任せになってしまった

私の礼服や夫婦2人分のお数珠や数日分の着替えなどの荷作りをしてから家を出た私と、仕事の引継ぎを簡単に済ませて会社を出た夫と合流し、羽田空港から何とか確保出来た午後の便で高知へ向かいました。

ですが、夜中に他界されたお義母さんを一刻も早く病院から運び出さなければならないこととか、大学進学と同時に高知を離れた夫は地元の葬儀社のこともよく分からなくて、羽田空港へ向かう電車の中で私たちはとても慌てていました

でも、飛行機に乗り込む前に親戚からケータイに電話がかかってきて

「あんたらのお母さん、もう病院から家の近くのセレモニーホールに移動したきねぇ、あんたらは空港から直接セレモニーホールに向かってやぁ~。そいで、アンタらはお母さんとそのままセレモニーホールに泊まれるように手続きしておいたからぁ泊まる所は大丈夫やき安心して下さぁい。セレモニーホールの名前と場所は・・・」

と言ってくれたのです。

お義母さんが入院されている時も、他界された時も、結局、息子夫婦の私たちだけでなにもかもは出来ませんで、最後まで親戚任せになってしまいました。

ありがたさと申し訳なさが同時に込み上げてきましたが、色々とスムーズに手続きしていただいて本当に本当に助かりましたし、今でも感謝しています。

でも、もし手を差し伸べてくれる親戚がいなかったら、息子夫婦の私たちはどうすればよかったんだろう?って未だに考えてしまいます。

 

こうして、夜になってやっと高知へ到着すると、親戚が空港までむかえに来てくれていて、親戚が既に手配してくれていたセレモニーホールへ直行し、そこでやっとお義母さんと対面しました。

ほほ笑みながら眠っているような、あまりにも穏やかな綺麗なお義母さんのお顔に、夫は「苦しまんで済んだんやな。」と、悲しいと言うよりも何だかホッとしていましたね。

そして、しばらくセレモニーホールにいた親戚たちは夜には自宅へ戻り、息子夫婦の私たちだけセレモニーホールに宿泊してお義母さんとゆっくり最後の時間を過ごさせていただいたのでした。

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