私は30代に入ってから子宮筋腫が徐々に大きくなり始め、35歳の時に急激に開腹手術が必要な大きさになったため、子宮筋腫のみを取り除く「筋腫核出術」を受けました。
これが私にとって人生で初めての全身麻酔での手術と入院だったので、一応事前に両親にも手術の事を知らせました。
そして、入院前、手術当日、術後、幸いにも命に係わるようなことではないにしても、私にとってはちょっとした大変な出来事ではあったのですが、その時の両親の対応や母の言葉が
「ああ、やっぱりこの人は毒親なんだな。」
と再確認させられたと言いますか、分かってはいたけど心底ガッカリさせられたと言いますか、入院中の私をどれだけピリピリさせたことか。
今日はこの時の状況を踏まえながら、私が母のどんな言動を毒親だと感じたのかを書きたいと思います。
手術が決まった時の母の言葉
私たち夫婦は結婚当初から「子供は授かったら授かったで良いし、授からなかったら授からなかったでも良い」と話していました。
結局、子供は授かりませんでしたが、だからと言って ↑ 無理に前向きになろうと思って書いているわけではなくて、本当にどちらでも良かったのです。
子供がいなくても、私たち夫婦はけっこう仲良く暮らせているんじゃないかなと思っています。
なので、35歳で子宮筋腫の開腹手術が決まった時、出産を考えるならまぁまぁギリギリな年齢でしたし、「術後1年間は妊娠してはだめ」と病院の先生から聞かされましたが、さほど動揺することはありませんでした。
ただ、その時にちょっと頭をよぎったのは、世の中のどこかの誰かが作った一般論「親に孫の顔を見せてあげなよ」でした。
なので、一応のつもりで私の実家に電話をして、その時電話に出た母に、今度子宮筋腫の手術を受けることになったことと
「もしかして手術のせいで子供が出来なくなったりしたら、寂しい?」
と聞いてみたんですね。
すると母は即答で
「べつに~。あんたたちがそれで良いんならいいし、こっちはお墓は自分たちで永代供養の所に入るから。」
手術が決まった時に私が思ったこと
・・・・・お、お墓(??)
私は「近々手術を受けます」と連絡をして、もしかしてあなたたちの孫が出来ないかもしれない可能性を心配して問うているのに、何の話?と思いました。
そもそも、「手術を受ける」と言っている実の娘に「体は大丈夫?」の一言もなかったことは、やっぱりなと思いつつ、心に刺さるものがありました。
そして、これはどっちなんだろう?と今でも考えますが、「孫が出来ない可能性があります」と伝えて即答で「べつに。」と言う母の答えは、「こちらの事は気にしなくていいよ。」なのか、それとも「あんたたちの事だから関係ない。」なのか。
この母の言葉に、前者のような優しさはあったのかは、私には分からないです。
そしてお墓発言について後で思ったのは、母の思考回路は、孫が出来ないかもしれない → 後々自分たちのお墓の管理をする人が出来ない → したがって「お墓は永代供養の所に入るから」、になったのではないかと。
結局のところ母が心配なのは、手術を受ける娘のことでもなく、私たち夫婦が子供が出来なかった場合はそれで良いのか?でもなく、自分の行く末のことで、自分にしかベクトルが向いていない人なんだなって思いました。
これももしかしたら「私たちの事は気にしなくていいよ」と言う優しさからの言葉の可能性も無きにしも非ずですが、正直、私にはそうは思えませんでした。
手術当日の出来事
手術当日、私の手術は午後1時半~2時頃から始まる予定となっていました。
全身麻酔での手術なので、当日は家族の立ち合いが必要なため(立ち合いと言っても病室で待機しているだけですが)夫が朝から来てくれていたのですが、手術の2時間くらい前に驚いたことに両親も病院に来たのです。
そして母は父と一緒に病室に入ってくるなり
「アイツはもう~、一回死んだほうがイイんだよ!死ななきゃ治らないんだから!っとにアイツはどうしようもないやつだ!一回死んだらいい!!!」
と声を大にして文句を言い出したのです。
コチラはもう既に手術のスタンバイで筋肉注射などを済ませてベッドで横になっていたのに、何事かと心中穏やかではなくなりました。
そのまま母の言葉に耳を傾けていると、どうやら病院へ来る前に母の妹(叔母)と何やらもめたらしく、その怒りを病院の病室でぶちまけたようでした。
手術前と術後数日間は個室を利用していたので、他の患者さんはいなかったのは幸いでしたが、すかさず私は
「ここ、個室だけど、壁が薄いから声が周りに筒抜けだから!!!」
と母の言葉を制しました。
そして、そんな私たちの様子を見ていた父は、こっそり病室を出て行こうとしました。
でも私は咄嗟に
「お父さん、どこへ行くの?」
と聞くと
「廊下にいようと思って。」
と言うので
「あ~、ここ婦人科病棟だから、男の人が1人でウロウロしているのも何だから、病室にいて~」
と止めると、父は黙って病室に残ったのでした。
手術当日に私が思ったこと
普通なら、両親が病院に「来てくれた」になるのでしょうが、私としては「来た」「来てしまった」としか思えませんでした。
言っても全身麻酔の手術前です。
ベッドで横になりながら「なんでこんな状況の私がピリピリさせられないとならないの?」と、うんざりしました。
そもそも、病気を治すために入院している人が私の他にも沢山いる病院内です。
もしかしたら、命に係わる病気で入院してい人もいるかもしれないと言うのに、個室とは言え「死んだ方がいい!」を連発するなんてありえないですし、自分の母として、人間として、とても恥ずかしく思いました。
もしくは、毒親育ちの私が思ったもう一つの仮説としては、これから初めての全身麻酔での手術をする私に対して間接的に嫌な思いさせるために「死んだ方がいい!」を連発したのかもしれないなと思いました。
毒親の特徴なのか?それとも私の母がなのか?、どうすれば相手が傷ついたり嫌な思いをするかを、瞬間で鋭く察知してピンポイントで攻撃する能力にもの凄く長けているんですね。
なので、この発言ももしかしたらと思いました。
この時に看護師さんが病室にいなかったことは、本当に幸いでした。
それに、ベッドで実際に横になっている私には「大丈夫?」とか「具合どう?」みたいな心配するような言葉は一言も無くて、「本当にこの人たちは何をしに病院に来たのだろう?」と思いました。
でも、その答えは私には分かっていました。
それは、親だから。
娘が心配だったのではなくて、「自分たちは娘が手術の時に病院へかけつけた親なのです」と言う証拠?周りへのアピール?そんな感じかと。
そして、父。
病室へ着くなり母と私のやり取りに巻き込まれたくなくて、こっそり病室を出ようとしたのでしょう。
そんなところは、私がまだ実家で暮らしていた時と変わっていないなと思いました。
私が母に毎日のように攻撃されていても、父は口を出さない代わりに見て見ぬふりで、ほとんど助けてはくれませんでした。
父自身にその自覚があったかどうかは定かではありませんが、母の攻撃が私に向いていれば自分は安全と思っているだろうなと、私は感じていました。
私は父にとっての盾でした。
こうして、少しずつ意識がぼんやりしていきながらも、穏やかに手術室へ向かえなかった私でした。
術後の両親
おかげさまで、手術はスムーズに終わりました。
入院前に知人から小耳にはさんだ情報では、お酒をよく飲む人は麻酔の効きが悪くなるらしいとのことで、私はさほど飲む方ではないからか?実際に術後に麻酔がなかなか切れませんでした。
手術が終わった時に手術室で先生に声をかけられて一瞬意識は戻って人工呼吸器は外されたのですが、次にパッと目を開けた時には既に病室に戻っていて、横には夫だけがいてくれました。
後で夫から聞いた話では、両親は私がまだ手術室にいる時に先生から切除したての筋腫の塊を見せてもらいながら「こちらをこれから病理検査に回します」と説明を受けて、帰ったそうです。
夫はしばらくベッドの横にいてくれましたが、私の意識が途切れ途切れで申し訳なかったので
「まだ麻酔が切れないみたいだから、ありがとね、もう今日は帰ってくれて大丈夫。」
と伝えて、そのまま気絶するように眠った私でした。
翌朝、看護師さんの声で起こされて
「血流のために、少しでも早く起き上がって歩いた方がいいので、立ち上がって下さい。」
と鬼のようなことを言われ、私はパラマウントベッドの機能を最大限に活かして上半身を起こし、点滴を吊るしてあるスタンドにしがみ付いて立ち上がろうとしましたが、まだ麻酔が切れきっていなかったようで、脚がぐにゃりと曲がって崩れ落ちそうになりました。
それでも看護師さんは助けてはくれず、なんとかスタンドにしがみ付いて立ち上がり、そうこうしているうちに1歩、また1歩と歩けるようになって、私がまず行ったのは公衆電話の所でした。
とりあえず、一応礼儀としてお礼を伝えるために両親に電話しようと思ったのです。
電話をすると、いつものように母が電話に出て
「あ、私だけど~」
と言うと
「なに、あんた、もう歩いてるの?」
と聞かれたので
「うん、歩いた方がいいって言われて、電話かけにきたの。」
そして結局、その電話でも「具合は大丈夫?」とか「体調どう?」のような言葉は一言もありませんで、前日の病院の帰りに駅前のデパ地下に寄ってご飯を買って帰っただのどうでも良い自分たちの話ばかり。
いつものように空しくなったと同時に「やっぱり少しでも両親とは関わらない方が私は穏やかに過ごせる」と悟って、私の方から
「そんなわけで、もう歩けるし、大丈夫だから、お見舞いとかで病院に来なくても大丈夫だから~」
と言って、布石を打った私でした。
術後に私が思ったこと
病室で目が覚めた時、横に「夫だけ」がいてくれた時は、ホッとしました。
なぜなら、私が眠っている間ずっと両親と夫だけで過ごさなければならなかったら、夫も気を使って大変だっただろうと思ったからです。
その反面、両親が手術が終わって早々に帰ったと聞いて、やっぱりなと思いました。
両親は、やはり娘の心配をして病院に来てくれたと言うよりも、親の務めとして来てくれたのであって、先生から術後に「手術無事に終わりました、これから病理検査にまわします。」と話を聞いて、いわゆる立ち合い人としての役目が終わったので早々に帰ったのでしょう。
手術の翌日に電話をして、確かに私の方から「もう大丈夫だから、お見舞いもいいから」と言いましたが、両親は本当にお見舞いに来ませんでした。
入院中にお見舞いに来てくれた人に、退院後にお礼のお菓子を送ったので実家にも送りましたが、「あ、お菓子届いたから~」と電話をもらいましたが「その後、どう?」とか「体調大丈夫?」などの言葉はやっぱり一言もありませんでした。
このように、両親の言動1つ1つに、私は「心無いな」と感じます。
私が入院した日、実は私と年齢の近い女性がもう一人入院して、同じ日に手術をして、手術が終わって数日後からはその方と同じ大部屋へ移動したので、ちょっと仲良くなりました。
その方は、病院の近くでご両親と暮らしていたからと言うのもあったとは思いますが、本当に毎日のように、時には1日に2~3回もご両親がお見舞いに来ていました。
その様子を見て羨ましいとまでは思いませんでしたけど、「ああ~親って、普通はこんな感じなんだなぁ。」と思いながら見ていました。
手術と入院、慣れないことばかりで心身ともに多少なりと大変な時でしたが、やっぱり私の母の毒親っぷりは容赦なく私をピリピリさせ続けたと言うお話でした。笑
毒親を持つ子供の心境みたいなものを、ほんの少しでもご理解いただけたら幸いです。
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