私の母は毒親なので、私にはいわゆる「普通の家庭」とか「普通の親子関係」がどんな感じなのかは想像でしかないのですが、たぶん普通の家庭の仲の良い親子であれば、娘は年頃になったら母親に色々話したり相談したり、息子はやっぱり父親の方が話しやすかったりするのかなと想像します。
娘と母、息子と父、親子であり同性でもありますからね、頼れる存在になるんだろうな~と思ったりしています。
でも、毒親である私の母の場合は、親だからとか、母と娘は女性同士だからとかは一切関係なかったばかりか、むしろ、親子や同性であるからこそ母は私の敵になりました。
毒親家庭では、普通の家庭や親子関係とは真逆になる場合もあるんですよ、と言うお話を今日はしたいと思います。
若い頃から生理痛がかなり酷かった私
私は中学生の頃からかなり生理痛が酷くて、時には寝込んで歯を食いしばり脂汗を流しながら痛さに耐える時もあって、本当につらかったです。
さすがにそんな時は母も「ちょっと、あんた、大丈夫?」なんて声をかけてきたこともありましたけど、大丈夫と聞かれたところで痛みが和らぐことは無いので、ただひたすら痛みが治まるまで1~2日もの間ずっと耐えるしかありませんでした。
そんな私の事を母が中学の同級生のお母さんに話たらしく、その同級生のお母さんが評判の良い婦人科の病院を教えてくれたとのことで、私は母に連れられて人生で初めて婦人科の病院へ行きました。
そして、漢方薬を処方されて1年近く飲み続けましたけど、結果は残念なことに一向に強い痛みは楽にはなってくれず、毎月毎月、月に1度、必ず寝込み続けまして、時には学校で倒れかけて保健室で吐いてしまったりして、学校から母に連絡が行って、学校までむかえに来てもらったこともありました。
そんな私の状況を知っている母は、父に私の体調のことをどこまで話していたかは分かりませんが、私のいない所で母として父に娘の体調の話は伝えてくれているものだと思っていましたし。
ちょっとデリケートは話ではあるので、私から父に「今日学校で倒れちゃって…」なんて話をしたことはありませんでしたし、父も改めて私に「大丈夫か?」とは言ってこないにしても、娘が生理痛がとても酷いと言う事は知ってくれてはいるだろうと思っていました。
母は黙っていた
こうして、ずっと痛みに苦しみながら10代が終わろうとしていた頃のお正月、毎年恒例と言うことで、家族3人で初詣へ行くことになりました。
ところが、運悪くそのタイミングで生理になってしまった私でしたが、まだ痛みが軽かったので「大丈夫かな…」と思いつつ、母に一応「生理きた…」とだけ伝えて、予定通り初詣に出かけました。
最寄り駅まで歩いて、電車に乗って、毎年初詣へ行っている神社に向かって歩き始めましたが、最悪なことに案の定痛みがピークに達してしまい、たぶん私の顔色は見る見る悪くなっていたと思うし、つらすぎて歩くに歩けなくてモタモタしていたところ、母が「なにあんた…もういいよ、先に帰ってな。」と言ってくれたので、母が私の体調の悪さに気づいてくれたと思いましたし、父も事情は分かってくれていると思い、私は来た道を1人で帰ることにしました。
ところが、私が痛みに顔を歪ませていると言うのに、父はもの凄く不機嫌な顔をして私に怒鳴ってきたのです。
「あのなぁ!家族でちゃんと初詣も行きたくないなんて、どうしようもないぞっ!」
・・・へ?
父の言葉を一瞬理解できませんでしたが、父はきびすを返して母を連れて神社の方へ歩いて行き、倒れそうなほど体調が悪い私はその場に1人取り残されました。
結局母は、私が出かける前に生理になってしまったこととか、今まさに痛みが酷くなって動けなくなっていることに気付いていながら、それを父に伝えませんでした。
もしかしたら母は、この時だけでなくそれまでずっと、私の女性としての体調の悪さを父に伝えてこなかったのかもしれません。
そして父は父で、私の体調の悪さに気付くことなく、私が家族で初詣に行くのが嫌でふて腐れているのだと思って、怒鳴ってきたのです。
こんなにつらいのに・・・なりたくてなったわけじゃないのに・・・もの凄く悔しかったです。
母が分かっていながら助けてくれず、事情も分かっていない父に怒鳴られ、何とか1人で駅までたどり着いたものの、私はあまりの体調の悪さに駅のホームの椅子に倒れこむように座って、動けなくなってしまいました。
でも、ケータイもスマホも無い時代です。
自分を奮い立たせて自力で電車に乗り、駅からは自腹でタクシーに乗って何とか家まで辿り着き、後はトイレで吐いたり、布団に横になってのたうち回ったりして、夕方ぐったりと横になっている時に両親が帰宅しましたけど、両親が私の身体を案じてくれることはありませんでした。
こんな時、同性の母が助けてくれたら、どんなにか良かったのに。
自分で婦人科へ
社会人になってからも、私は相変わらずつらい痛みをかかえていましたが、会社を度々休むわけにもいかなくて、私は自分の意志で1人で婦人科へ行って、改めて検査を受けてみました。
結果は、小さな子宮筋腫があるものの問題無いレベルとのことで、婦人科の先生からは「脂汗を流しながら酷い痛みを我慢するより、痛み止めを毎回飲んで体を楽にしてあげた方がいいですよ。」とアドバイスだけいただいて、特に薬を処方されることなく終わりました。
あまりのつらさに何か問題があるのではないかと心配していた私はひとまずホッとしましたけど、それじゃあこの酷い痛みの原因は何か?と言う回答は得られず、痛み止めを飲み続けて対処するしかありませんでした。
こうしてしばらく経った頃、会社から帰宅した私に母がいきなり怒鳴ってきました。
何て言ったと思います?
聞きたいですか?
聞いてビックリしちゃいますよ?
「お前なんて、どうせ子供の1人や2人はおろしてるんだろっ?!きっとおろしてるんだ、お前はっ!」
あまりにも脈絡のない話しに、思わず私は玄関に立ちつくしたままポカンとしてしまいましたが、母が怒鳴り散らす話を黙って聞いていたところ、どうやら母は、いつものように私がいない間に私の部屋に入り掃除と称して引き出しの中を勝手にチェックして、私が婦人科に検査に行った検査結果やお会計のレシートか何かを見つけたようで、おろらくそれで見て、私が子供をおろしたと思いこんだ様子でした。
母の頭の中の勝手な想像で、私がにどんどん悪者にされていって、いきなり怒鳴られ、暴言を吐かれる。
そんなこと、日常茶飯事で馴れっこではありましたけど、けど!
さすがに「子供の1人や2人はおろしてるんだろ?!」と言う親であり母であり同性の女性の言葉は、私をかなり落ち込ませましたね。
毒親は、親だからとか同性だからとかで頼りになる存在にはなってくれません。
むしろ、親なのに同性なのにあえて助けようとせず貶めてくるなんて、そんなのもう敵でしかありませんでしたね。
もしも今、この記事を読んで「自分の家も誰も頼りになってくれる大人がいないな」と感じた人は、もしかしたらご両親のどちらかか、もしくは両方か、毒親かもしれません。
試しに1度、毒親について調べてみて下さい。
そして、万が一自分の親が毒親だと気付けたら、あなたは毒親から逃げるための第一歩を踏み出せたことだと思っていいと思います。
毒親は、あなたがどんなに頑張っても、どんなに説明しても、変わってくれないし、変えることも絶対にできません。
そういう人種なのです。
なので、一刻も早く毒親の元から離れることが、一番のあなたを守る方法です。
高校を出たら遠方の大学へ行って実家を出るとか、今社会人であれば一刻も早く実家を出るなど、実質的に毒親から距離を置いて離れることが、あなたの身を守る一番の近道です。
1人でも毒親に苦しんでいる毒親育ちの人が幸せになれますようにと願います。
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