私はいわゆる「人付き合い」とか「友達付き合い」が得意ではありません。
それはもう開き直りとかでは断じてなくてですね、50年以上生きてきたのにまだそんなことを言っているの?!と言うよりも、50年以上生きて来た結果、自分で自分のそういうところを認めたという感じなのです。
私も心の中では、誰彼構わず敵対心を持ったり意地悪をしようなんて思う気持ちはこれっぽっちもありませんで、誰とも不穏な関係にならずそれなりでいいから穏やかに人付き合いができればいいなと思っていましたし、今でもそう思っておりますです、はい。
でも、世の中には自分も含め色んな人がいます。
私がそれなりの穏やかな関係でいたいと勝手に思ったところで、そうはさせてもらえない場合もたくさんありましたし、心中穏やかではない経験ももちろん色々してきました。
それでも、若い頃の私は何とか穏やかな関係でいられるように、めちゃくちゃ頑張っていました。
って言うか、無意識に頑張ってしまっていました。
いつも母からネチネチガミガミ言われながら育ってきた毒親育ちなので、相手の気持ちを何とか理解して対処しようとするクセが付いてしまっていて、いつも無意識に自分のことよりも他人のことを優先させてしまいました。
でも、人付き合いと言うものは相手がいるものなので、自分だけが頑張ってみたところでどうにもならないこともあるのが現実です。
それが当たり前のことだと今なら分かるんですけど、毒親育ちだった私は若い頃は何とかしなきゃと思ってしまい、いつでも誰とでも穏やかに過ごせるように頑張り過ぎちゃいました。
それでかなり人に振り回されて、疲弊しました。
それは自分の責任でもあるんですけどね、そんなふうに疲弊しきってやっと、自分の頑張り過ぎに気付きまして。
振り回されて疲弊してしまうくらいなら、人付き合いは諦よう、そうすれば無意識に頑張ろうとしてしまうこともないじゃないかと気付いて、今の50代の「人付き合い」とか「友達付き合い」が得意ではないと認めた自分がいるわけです。笑
そんなわけで、人付き合いは苦手なので無理して頑張らないことにした私ですが、そんな私にも先週、アメリカにいた幼馴染が2週間ほど前に帰国したとのことで、「帰国したから会おう!」と連絡をくれまして。
その翌日に、引っ越してちょっと離れてしまった元ご近所さんだった知人が、「久しぶりに会おうよ!」と電話をくれまして。
人付き合いが苦手でもありがたいご縁はあるもので、こんな私でも良しとしてくれる人がいて「会おうよ!」と連絡をくれるのですから、心底ありがたいことだと思います。
それに、こうやってお誘いしてくれる人がいると、昔のように無理をしていない今の自分でもいいんだなと思える瞬間でもあって、とても嬉しいです。
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