私は時々ではありますが、昔から不思議な体験をすることがあります。
それで、不思議なことが起こっているその時その瞬間は、自分が不思議な体験をしているとは気づかないことが多いです。
なぜなら、私にはいわゆる霊感みたいなものが無いからです。
例えば、自分で幽霊みたいな存在を見ようと思って見れるような力があれば、日頃から注意しながら暮らしたりするのでしょうけれど、私には力が無いので日常的に自分の身に不思議なことが起こるなんて想定しないで暮らしているので、その場では気にも留めずに普通にやり過ごしてしまうことが多くて、後になってから「え?今のなに?」と、不思議なことが起こったんだなと思うわけです。
でも、繰り返しになりますが私には霊感みたいなものは無いので、「え?今のなに?」と考えてみても理由も原因も答えも分からなくて、ただただ不思議なモヤモヤした何ともスッキリしない気持ちだけが残るだけって感じです。
それでも良いことがあるとすれば、何か不思議な体験をしても私が一人でモヤモヤして、少し時間が経てばモヤモヤした気持ちも薄れていくだけのことなので、日常生活に何か影響が出ることも無く生活できることです。
なのですが。
私が体験した不思議な出来事の中で1つだけ、違う意味でドキドキさせられた?迷惑だった?不思議な体験がありました。
それは、実家の階段を上がってくる足音が聞こえたことでした。
私の実家は木造の一軒家で、私の部屋は2階にありました。
そして実家の階段には滑り止めが貼り付けてあって、階段の角の所にゴムクッションのようなものが貼ってあったので、階段を上り下りする時には必然的にその滑り止めを踏むことになるので「クシュ…クシュ…クシュ…クシュ…」と音が鳴るので、私は2階の自分の部屋にいても、父か母かが階段を上り下りしている音は聞こえていました。
それで、私が10代後半から20代半ば頃まで、夜に自分の部屋にいたら「クシュ…クシュ…クシュ…クシュ…」階段を上がってくる音が聞こえてきて、私としては、父か?それとも母か?と思うわけなんですけど、階段を上がってくる音が階段の途中で止まり、「ん?」と私は耳を澄ましてしばらく様子をうかがってみましたが、結局その足音はそれ以上、上に上がってくるでもなく下に降りるでもなく、階段の途中で止まったまま。
不思議に思って部屋のドアを開けて階段を見ても、誰も階段にはいなかった、なんてことが何度かありました。
それで、普通の人であれば「誰もいないのに階段を上ってくる音だけが聞こえる」という事実に恐怖すると思われますが、私は違いました。
なぜなら、私は毒親育ちだからです。
毒親である母が支配し父は見て見ぬふりして助けてくれない実家で、私は四六時中いつ何が原因で落ちるとも分からない母の怒りの雷に怯えて暮らしていたので、夜に階段を上ってくる音が聞こえると「ウッ…、こんな時間に母が階段を上がってくる?と言うことは、また何か意味不明なことを怒鳴り散らしに来るのかもしれない!!!」と恐怖と緊張に包まれ、咄嗟に身構えるのです。
それなのに、階段の途中で音が止まり、階段には誰もいなかったとなると、謎の足音が聞こえた怖さよりも、母が2階に上がってくるという別の恐怖感で心臓バクバクになっている方が私の中では上回っていたため、階段に誰もいなくて「ホッ…」としてしまっていました。
毒親育ちにとっては、不思議な体験の恐怖よりも、実生活の日々の恐怖の方が上回っているということを肌で感じましたね。笑
と同時に、「なんだよー、母じゃなかったじゃん!なんて紛らわしいことしてくれんねんっ!怒」とイラッとしたりもして、もしも階段を上る足音をさせていたのが幽霊の類だったとしたら、こればかりは「幽霊、勘弁してよもぉ~( ̄д ̄)」と心底迷惑に思った、そんなお話しでした。笑



コメント