はたからは気づかれない毒親のいる家庭内のこと

毒親について

このブログを作る時に、私が「毒親について」と言うカテゴリーを作った理由は2つ。

  • 実家での暮らしで実際に経験したこととか当時の気持ちを、私がやっと冷静に客観的に振り返れるようになったなと思えたから
  • 今まさにどこかで親子関係で苦しんでいる人がいたとして、もしも誰かの何かの参考になったり助けになってくれたらいいなと思ったから。

でも、こうやって実際に改めて書き始めてみようとすると、ほんともぉ~色んな事が山ほどあり過ぎたので、何を?どこから?どうやって?書けばいいかとチョット悩めます。

これがいわゆる「ブログ初心者あるある」なのでしょうか。笑

ただ、こうやって今苦しんでいる人の何か助けになって欲しいと思う気持ちはありますが、一言で毒親と言っても家庭ごとに状況は違って全く同じ状況なことは無いでしょうし、親子関係で苦しんでいる人の辛さや気持ちも人それぞれ違うでしょうから、私がここに書くのはあくまでも私個人のほんの一例にしかなり得なくて申し訳ないのですが、ご理解いただけると幸いです。

では、まずはざっくりと私の両親について書いてみようと思います。

私の父

私の父は、就職と同時に実家を出て神奈川県に移り住み、同じ会社で会社員として定年まで勤めあげました。

定年後もしばらくは関連会社で仕事を続けていましたが、今は仕事から離れて老後の暮らしをしています。

父はつくづく真面目だなと思っていますが、特に仕事には輪をかけて真面目で、毎日きちんきちんと仕事に行って、毎日きちんきちんと帰って来て、今になって思うにほとんど有給休暇を取ったことなかったんじゃないかな?

私なんて、何かと理由をつけて有給休暇をMAXで使っていた人間なので、本当に私はこの父の娘なのか?と思ってしまうけど、顔が激似なので間違いないでしょう。笑

真面目に働いて、今の実家である家を建てて、専業主婦の母と一人娘の私を養って、学校にも行かせてくれて、裕福とまでは言えなくても不自由なく育ててくれました。

社会人として立派な人だったんだなと、私が大人になればなるほど実感します。

私の母

そして母は、専業主婦の鏡のような人です。

私が子供の頃は、同級生のお母さんたちのほとんどが専業主婦だった時代だったので、今ほど専業主婦であることは珍しくありませんでした。

普通に結婚して、普通に子供を産んで、普通に専業主婦して、普通にワンオペで子育てをした、昭和と言う時代の「普通」を当たり前として生きて来たような人です。

そして、掃除、洗濯、裁縫、料理、何でも完璧にこなして、それはもうパーフェクト

それも母にとっての当たり前だったのでしょう。

毎日きちんきちんと手料理を作って、毎日きちんきちんと家事をこなして、いつでも整理整頓されてた家の中、家事について私はこれまでもこれからも母を上回れる事はないでしょう。

立派な「社会人」の父と、立派な「主婦」の母

そんな両親であります。

これを見る限り、私の両親からは「毒親なんて言葉は結び付かないじゃない?」と思われる人もいると思います。

私も、自分が当時の両親の年齢になった今になって改めてこうやって両親のことを書きながら、立派な人だったんだなって思ったりしますしね。

きっと私たち親子の家庭は、きちんとした両親と、自分で言っちゃうけど(笑)そこそこ真面目な一人娘の、何の問題もない平穏な三人家族にしか見えなかったと思うんですよね。

そうなんです、立派な社会人の父と、非の打ちどころのない専業主婦の母なのです。

それは私も痛いほど分かっているし、凄いなとも思うし、そんな環境で育ててもらったことは感謝もしたいなと思っているのです。

でも、私がこの歳になって思うのは、両親はあくまでも立派な社会人の父と立派な主婦の母なのであって、「親として」は別の話だったなと思います。

気づかれない家庭内のこと

このように、身体的な虐待はないし、何の問題もなく育てられているよう見えるので、家庭内で目に見えない毒に苦しめられることを誰にも気づいてもらえなかったことが、昔はかなり辛かったです。

それと、その当時の時代がそうだったから仕方なかったとしか言いようがないのですが、「子供は親の言うことをちゃんと聞くべき」が正しいことと思われていた時代だったので、自分だけは正しい人間であり親であると信じて疑っていなかった毒親の母にとっては、この言葉は、子供に対しての盾にも矛にもなりました。

母のルールが家の中のルールであり、それに従えないことは許されなくて、そのルールが正しいとか正しくないなんてことは母には関係なく母がダメと言ったらダメ、やれといったらやるしかなくて、これ全て「子供は親の言うことをちゃんと聞くべき」「親の言うことが聞けないなんてことは許しません」と言った感じでしたね。

絶対服従だった母のルールは、私が子供の頃は、躾と言うには度を越した攻撃と言った感じのレベルでしたが、私が成長し大人になるにつれて、学校生活や社会人生活で人との付き合いが広がっていくと言う当たり前のことを、許さなかったり邪魔するようになりました。

そして、家の中のことも娘のことも、母に一任して(見て見ぬふりして?)いた父。

友人や会社の人に親のことは話せない、知られたくない、でも一人の人間として自分の人生を生きたいと願った私は、365日24時間1分1秒、母を出来るだけ刺激しないように気を張り詰めて暮らしていたのでした。

 

このように、はたからは見えない、気づかれない、核家族の家庭内のこと。

ただの親子喧嘩レベルではない暮らしが、この世の中には本当にあるのだと言うことだけでも知ってもらえたら、どこかで救われる人がいるかもしれません。

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