前回の【本当にたたかったお嫁さま】その34.「何事も無かったかのような夜」では、
2000年9月下旬、まさかの母の嫌がらせに肝を冷やしましたが、何とか両家の顔合わせを終えることが出来たのでひとまずほっとしつつ、私はいつも通りに会社と家の往復の日々に戻りました。
そんな矢先、高知へ戻られたカレのご両親から電話があったと、カレから連絡が入りました。
もしかして、やっぱり母が両家の顔合わせに来なかった件について気分を害されていたのかも…
一抹の不安がよぎった私でした。
今日はそのへんのお話をしたいと思います(^^)
両家の顔合わせの翌日、カレと私は仕事を休みカレのご両親と一緒に空港までに行ってお見送りをしまして、次の日からは、いつものように家と会社の往復の日々に戻って仕事に追われて過ごしていました。
あとは、11月の後半になったら私がカレの暮らしている家に引っ越しをして、12月の前半に役所に入籍届を出して、2人だけで結婚式をするだけとなりました。
思えば私はカレとの結婚を決めてから、全力で結婚を阻止しようとしてくることが分かっている母と言う存在に怯え、悩み、苦しんで、もしかしたら結婚までたどり着けないかもしれないと言う不安にずっと包まれていましたが、両家の顔合わせを何とか終えたことで、気分的には「ここまで来たら結婚まであともう一息!」といった感じで、だいぶホッとしていました。
ところが、カレのご両親が高知に帰られてから1週間ほどした頃、カレから「うちの親から電話があったんだわぁ。」と連絡が入りました。
その言葉に真っ先に私の頭に浮かんだのは、両家の顔合わせに母が来なかった件についてでした。
カレのご両親は、やっぱり内心は心中複雑だったのかもしれないし、一人息子の結婚に不安を感じられたのかもしれないと思って、ドキッとしてしまいました。
でも、カレから聞いた電話の内容は、ちょっと意外なもので、
「結婚式さぁ、2人だけでやるって伝えて、オヤジもオカン『それでええよ~(^^)』って言ってたんやけど、『やっぱり2人の結婚式の姿が見たいから、結婚式に行ってもいいか?』って言ってるんやわぁ。どう?」
思いがけず、嬉しい申し出でした。
私は二つ返事で「全然いいよ!来ていただけるなら、またホテルと飛行機の手配をこちらでしよう!」と答えました。
なぜなら、結婚式と一緒に披露宴もするのであれば、料理やテーブルの準備もあるので招待客の人数は明確にしておく必要もありますけど、私たちは披露宴はせずに結婚式だけでしたから。
それに、私たちが「結婚式は2人だけでやる」と言っているだけで、実際に結婚式をするのは結婚式場のチャペルなわけで、バージンロードの両脇にある招待客が座る席に招待客がいようと、いまいと、招待客の人数が何人だろうと、式場側としては関係ないからです。
なので、カレのご両親が結婚式まであと2ヶ月ちょっととなった頃に急遽結婚式に出席することになったとて、結婚式場に伝える必要もなければ、私たちの自由にして良いことだったのです。
こうして、カレのご両親の嬉しい申し出を受けて、改めて結婚式の招待状を送ることになりました。
でも、ここで新たな問題が1つ浮上しました。
それは、私の両親です、と言うか、母です。
元はと言えば私の母のせいで、仮予約までしていた結婚式場の結婚式をキャンセルさせられたから ⇒ 私たちは披露宴は無しで結婚式だけさせてもらえる式場を探して ⇒ 2人だけで結婚式をすることになりました。
でも、私の母には、そんな理由が通用するとは到底思えませんでした。
きっと、いや、絶対に母は、それまでに自分が私たちにしてきた仕打ちをまるで無かったかのように棚に上げて、「私は娘の親なのよ!」と言う刀を振りかざして、「なんで相手の親だけ結婚式に招待して、娘の親が招待されないんだ!礼儀知らずなヤツだ!」と、ここぞとばかりに私ではなくカレに対して攻撃して来るのが目に見えました。
文句やイチャモンを付けられる隙を虎視眈々と狙っていて、道理とか一般常識とか関係なしに全力で攻撃する、そーゆー人なんです、母って。
さて、どうするか。
母と私の会話の無い頭脳戦は、まだまだ続くのでした。 ~ つづく ~
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