以前ブログで「真似をする人」と言う記事を書きました。
この記事の内容をざっくりと説明させていただきますと、私は過去にTwitterをやっていたのですが、なぜだか?私のツイートを真似する人がチラホラ出てきて、顔も知らない人たちが私の気持ちや言葉をさも自分のもののように発信することに違和感を感じて数年前にTwitterを辞めたという、私がTwitterを辞めた経緯について書かせていただきました。
そして、この記事を書いてからもう少しで1年が経とうとしているんですけど、ここで改めて「私は何でそんなに真似されることに違和感を感じたんだろう?」って自分でも不思議に思ったのです。
あまり人に興味が無い私の性格であれば、「別に真似したければ真似しておけばいいじゃない?」と捨ておくことも出来たはずだと思うんですよ。
なのに、なぜだかTwitterでは気になってしまった私がいる・・・
はて?この気持ちはなんじゃろね?と、お風呂にちゃぷんとつかりながらしばし考えてしました。
その結果、「あ~、私が引っ掛かったのはコレか~」と思い当たることが見つかりました。
それは、私の中で「0を1にすることを大切に思う」気持ちがあるからでした。
私のような知名度もナッシングな一般ピープルのただのつぶやきだとしてもですね、私は私の気持ちや言葉をツイートしていたんですね。
世の中は広いので、もしかしたらどこかの誰かと同じ気持ちだったり同じ言葉になっていた可能性はあると思います。
だとしても、私はあくまで私の気持ちや言葉を書いていました。
私の中でソーシャルメディアをやると言うことは、とどのつまり、どんな小さな気持ちでも、どんなにささやかな言葉でも、0を1にすることに醍醐味を感じていて、それにこそ価値があると思っている自分がいたりするようです。
0を1にするって、「そんな大して難しい事じゃないでしょ~?」と思われるかもしれませんが、それって結構難しいと思うのですよ。
だから、せっかく0を1にして生み出したものをさも自分が生み出したかのような顔をされるのはいけ好かなかったみたいです。笑
1を5や8にするのは、良く言えばアップデートとかになるかもしれないし、決して価値の無いことではありませんけど、私の中では0を1にすることの方が大切に感じていて、だから、人の0から1を平気で真似して自分のものするその人たちの心が、私にとっては違和感だったんだなと悟りました。
そんなわけで、私はTwitter(X)でツイートするのは辞めましたが、今は同じソーシャルメディアのブログでこうして好き勝手に書かせていただいているので、これからも「0を1にすることを大切に思う」気持ちと共に、私は私の言葉や気持ちを大切にしていきたいものだなぁと改めて思ったのでした。
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