改めて感じる「ご縁」

エッセイ

最近、よくよく考えるとこれっていわゆる「ご縁」と言うものなのでは?と思うことが、こんな私のまわりにも幾つかあるんだなと感じています。

住んでいる町も家も運命的

夫も私も、これまで物件探しをしたことが無いまま、現在住んでいる町で暮らし始めて20年以上が経ちました。

夫が就職して配属先が東京に決まった時、慌てた夫の代わりに大学の先輩であり会社の先輩となった人が、お勧めの町で物件を決めておいてくれたおかげで、夫は物件探しでバタバタすることなく新生活をスタートすることが出来ました。

そして私は、結婚と同時に(↑)この家に引っ越してきて、ひとまず2人の新生活をスタートしました。

そして、今暮らしている分譲マンションも、建設会社の営業の人がなぜか突然やってきて、お勧めされて、まんまと目が眩んで購入しました。笑

つまり、私たち夫婦は1度も自分たちで「住みたい町」や「住みたい家」を探すことなく、運命に導かれるかのように今のこの町のこの家で暮らしていると言うわけです。

幸いなことに、今住んでいる町も家も悪くはなかったなと思えているので、これまであまり疑問に思ったり後悔したことが無かったから、余計に何とも思わなかったんだろうなと思うんですけど、よくよく考えてみれば、人生の中で引っ越しとか家を買うとかってまぁまぁ大きな分岐点だったりもするじゃないですか。

それをこうも他人任せで、それを何の疑いもなく受け入れて、よくぞここまで問題なく暮らしてこれたものだと、今更ながら他人事のように関心してしまいます。笑

と同時に、これもご縁と言うものなのかな、なんて思えてきました。

実家の坂の下にある神社

そしてご縁と言えば、私の実家の近くにある神社と、今住んでいる町の氏神様も。

まずは、実家の坂の下にある神社についてご紹介したいと思います。

実家は、私が小学校1年生の時に両親が新築で建てた一軒家で、土地的には起伏のある丘などを住宅街にしていったニュータウンのような場所なので、坂の上にあった実家なんかは、家を出て右に行こうが左に行こうが、前に行こうが後ろに行こうが、坂道が続くような場所でした。

そして、特に一番急な坂道だった坂を下りきった所に、小さな神社がありました。

私の2階の部屋の窓からは、その坂道の下にある神社の大木がちょうど目の前に見えて、まるでブロッコリーの緑がモコモコしているように見えたものです。笑

そしてその神社は、こう言ってはなんですが、私が引っ越して来た頃はすっかりすたれていて、古い木造の本堂こそあるけれど、その横にある小さな能舞台的な建物はすっかり朽ち果てていて、屋根と、抜け落ちかけている床と、柱だけになっていました。

夏休みになると、町内の子供たちはその神社に集まって朝のラジオ体操をしていたのですが、普段は本当に人っ子一人来ないような神社だったので、夏休みの前になると子供たちの父兄が神社に集まって、蚊にボコボコに刺されながら境内の草むしりをしないとラジオ体操が出来るような状況ではないほどでした。

それでも私は、なぜかその神社が好きでした。

親からは、「人がいなくて物騒だから一人で行くな」と言われていましたが、子供のころから私はたまにこっそりと神社に行っては、本堂の裏にまわってみたり、本堂の中を覗き込んでみたりしていました。

そして、その頃から少しずつ神社が再建されて、参道も本堂も綺麗になり、朽ち果てた能舞台的な建物は撤去されて、その跡地に社務所が立てられ、ちゃんと手水舎まで作られ、小さいながらも人の手で管理がされる綺麗な神社になっていきました。

そして私が大人になるにつれて母の毒親っぷりが酷くなってきて、私は家の中に心のよりどころが無くなり、辛くて苦しくて仕方がなかった10代後半から、結婚して家を出るまでの20代は、学校の帰り、仕事の帰り、「家に帰るための勇気」をもらうために、一旦この神社に立ち寄って境内で5分10分ほど気持ちを落ち着かせてから帰宅したのでした。

この頃の私の心の支えになってくれたのが、坂の下の神社だったのでした。

私は今でも、この坂の下の神社に感謝しています。

そして、一番つらかった時期に自暴自棄にならず、無事に実家から出ることが出来て、今を幸せに暮らせているのは、あの頃の坂の下の神社のおかげではないかと思ってもいます。

今住んでいる町の氏神様

そして、現在我が家が暮らしている町にも、神社があります。

こちらは境内も広い大きな神社で、いわゆる氏神様と言えば、こちらの神社になります。

四季折々のお祭りで賑わったりもして、地元で愛されている神社です。

初詣は我が家もこちらの神社へ行くのですが、大晦日の夜中から元旦にかけてはたくさんの初詣客で賑わって行列になるので、たいてい新年2日か3日になって初詣客が少なくなってからお参りに行くほどです。

そして、氏神様と言う事で我が家はコチラの神社で毎年新年にお札をいただいて、その年の1年間、棚の上にお札を立てて、我が家を守ってもらっています。

日頃は、新年に氏神様からいただいてきたお札にご挨拶をし、ちょっと辛い時や困った時は、神社にお参りさせてもらって、気持ちを落ち着かせたこともありました。

このように、私は昔から何かあると神社へ行って心を落ち着かせてきました。

大人になる前、子供の頃からそうだったので、本能的にとでも言いますか、無意識レベルとでも言いますか、神社と言う場所が私にとって落ち着く場所なのだと知っていたのだと思います。

やっぱりご縁を感じます

そして、なぜ、私がこの実家の坂の下の神社と、今住んでいる町の氏神様の話をしたかと言いますと。

実家の坂の下の神社の名前と同じ名前の神社が、日本には(実家の坂の下の神社を含めて)4ケ所あります。

日本全国で4ケ所だけって、けっこう珍しい名前なのではないでしょうか。

そして実は、今我が家が暮らしている町の氏神様の神社の名前と、実家の坂の下の神社の名前が、同じ名前なのです。

この町で暮らし始めた時は、この神社の名前もさほど珍しい名前ではないだろうと思っていたのであまり気にはしなかったんですけど、最近になってふと、本当にふと、「そう言えば神社の名前が同じだな…」と思って調べてみたのです。

すると、全国で4ケ所しかない名前の神社の近くから、もう1つの神社の近くへ引っ越してきていたと言う事実。

なんか、その事に気づいて、グッとご縁を感じた私です。

 

この町に住むことになったのも、この家に住むことになったのも、同じ名前の神社の近くで暮らしているのも、ただの偶然かもしれません。

だとしても、ご縁ってあるような気がしています。

このご縁、ありがたく感じます。

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