前回の【本当にたたかったお嫁さま】その25.「毒親との頭脳戦の始まり」では、
2000年7月下旬、両家の顔合わせをするために、カレのご両親は快く東京まで来てくれることを了承してくれました。
これで私も、カレのご両親と初めてお会いして、結婚の挨拶も出来ることになりました。
でも、問題は母です。
結婚式場の仮予約までしていたのに、それをあっさりとキャンセルさせた毒親です。
すんなりと物事が進むはずない…そう心の中で覚悟しつつ、話を進めることにしました。
今日はそのへんのお話をしたいと思います(^^)
両家の顔合わせの日時について、私は父に
「両家の顔合わせをするためにカレのご両親が高知から東京へ来てくれるそうなので、お父さんの仕事とか都合の良い日時を確認して、教えてくれる?都合の良い日を教えてもらったら、カレのご両親に連絡するから。」
と、父にお伺いをたてるように伝えましたが、実はこれには、理由があったのです。
カレのご両親から日時の指定をしてもらった場合、私の両親と言うか母は十中八九「その日はダメです。」「この日もダメです。」「3ヶ月くらい忙しくて無理そうです。」と色々とありもしない理由を付けて話が進まないようにしてくるのが目に見えていたので、カレのご両親には申し訳なく思いつつ、日時の決定権を私の両親に丸投げしたのです。
これも頭脳戦で
『THE!日時を決めたのはお父さんとお母さんなんだから後になって予定についてごちゃごちゃ言わせないよ作戦!』
と言うわけです。笑
ただまぁ、結婚式場の仮予約をした時に母を説得できなかった父なので、今度は大丈夫かな?と言う不安はつきまといましたし。
手段を選ばない母なので、今度は何を言ってくるか?いつ何をしてくるか?私の緊張の糸は張りつめっぱなしでした。
それでも、母になるべく付け入る隙を与えないためにもこの作戦は有効だと思っていたので、父から日時の返事がくるのを毎日ただ黙って待ち続けたのでした。
気が気ではない私をよそに、父は黙って会社へ行って、帰ってきても特に何も話すことなく寝る毎日。
こうして待つこと1週間以上経って、やっと父が2階の私の部屋にやってきました。
そして父から指定されたのは、1ヶ月半以上も先の、9月下旬の日曜日でした。
その日程を聞いて、私は心の中で一瞬「う~ん・・・」と思っていました。
なぜなら、結婚式は12月上旬の予定なので、出来れば両家の顔合わせはもう少し早くしたいところだったのです。
でも、父がこうやって返事をくれたと言うことは、母とも話し合って決めたのでしょうし。
ここでこちらが何か言ってしまうと母はここぞとばかりに騒ぎだして、必要以上に面倒なことに発展させられてしまうと思った私は、
「分かった!ありがとうね。カレのご両親にも伝えておくね。それじゃ、9月下旬でよろしくお願いします!」
と素直に受け入れて、日程を確定したのでした。
やっと両家の顔合わせの日程を両親から引き出すことが出来たことで、また1つ前進出来たことにホッとしました。
そして、父から日程を伝えられたと言う事は、母も了承済みなのだろうと思って、それもまた少しホッとしましたね。
普通であれば、結婚に向けて忙しくも楽しいく幸せいっぱいの時期のはずでしょうに、私は毎日不安と緊張の連続で、心身共に疲弊していく一方でした。
それでも、カレと家族になり、カレと新しい人生を歩み出すために、私は「絶対に負けない!負けるわけにはいかないっ!(炎◇炎)」と、そのことだけを心の支えに過ごす日々でした。 ~ つづく ~
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