前回の【本当にたたかったお嫁さま】その31.「両家の顔合わせの日の朝に激震が走る」では、
2000年9月下旬の日曜日、いよいよ両家の顔合わせの食事会の日をむかえました。
母がカレのご両親やカレに対して失礼な態度や言葉を言ったりしないかとか、結婚を破断にさせようと訳の分からないことをしてこないかとか本当に不安でいっぱいで、そんな気持ちに押しつぶされそうになりながらも、私はカレと渋谷駅で私の両親が来るのを待っていましたが、ついに、地下鉄から階段を上がってくる父の姿が見えました。
が、母の姿が見当たりません。
なんと、両家の顔合わせに母が来ないことを父に告げられ、私の頭と心の中に激震が走り、頭の中が真っ白になりました。
そして次第に、絶望感へと変わっていったのでした。
今日はそのへんのお話をしたいと思います(^^)
渋谷駅の集合場所に母の姿が無く、疑問に思って「あの…お母さんは?」と聞いた私に、父が意を決したように口を開き「あのさ、お母さん、今日来ないって。」と言われた時は、一瞬、本当に頭の中が真っ白になってしまいました。
でも私は、物心ついた頃からずーっと、母から酷い言葉を浴びせかけられ、信じられないことも数えきれないほどされてきた、毒親育ちです。
ほんの数秒フリーズしましたけど、酷い事をされるのは、ある意味馴れっこなのです。
私はすぐに頭の中でグルグルと考えて、今の状況の把握と、心の整理に取り掛かりました。
「ああ~・・・、そうきましたか。」
「両家の顔合わせで母が失礼な言動をしやしないかと気が気じゃなかったけど、母は「両家の顔合わせに出席してやらない」と言う作戦に出たのかぁ。」
「母はこれで「何とか結婚の話が破断になれ!」って思ってるんだろうな。」
「いくら私のことが許せなくても、ここまで話が進んで、家同士の挨拶の場に姿を見せないなんて失礼なことまでするとは、さすがに私も思っていなかったなぁ。」
「そして父は、結局また母を説得できなかったのね・・・」
「でもきっと、父は当日の朝まで母を説得しようとしてくれたんだろうし、毎度のことながら大変だっただろう。」
と、判断しました。
つまり、母と私は全く会話が出来ていませんでしたけど、その間も母は一人でずっと反撃に出るタイミングを狙っていて、私が一番ダメージを受けるだろうと思われる行動を取り、水面下ではこのような心理戦がまだ続いていたと言うことです。
でも、そんな事を私が考えているなんてことはおくびにも出さず、父には「そっ・・・か、うん、分かった。」とだけ言って、カレと私と父の3人で両家の顔合わせをする日本料理店へ向かって歩き始めたのでした。
だって、「何でお母さんを連れてきてくれなかったの?」なんて父を問い詰めたところで、父には無理なんだってことも私も分かったし、たぶん父は父なりに頑張ってくれただろうし。
「母は今日来ないことで、結婚の話を破断にさせようとしてるんだ!」なんて文句を言ったところで、母が両家の顔合わせに来ることになることも無いですしね。
私が一人で心の中で母と闘うしかないのです。 ⇦ こんな気持ちって、もしかしたら毒親育ちにしか分からないかもしれませんね(^^;
ただですね、極端な事を言ってしまえば、母が両家の顔合わせの場で失礼な言動をして最悪な状況にしてしまうくらいなら、ある意味、来ないでくれた方が良かったかも?とも思えました。
なので、この時の私の中での最大の問題は「何でお母さん来てくれないの?」ではなくて、
「カレのご両親になんて伝えよう?」
「わざわざ東京まで来てくれたのに、私の親が欠席するなんて、申し訳なさ過ぎる!」
「とてもおおらかなカレのご両親だけど、さすがに母が来ないと知ったら、気分を害されてしまうと思う。」
「これまでカレは私の母の無礼を何度も笑って流してきてくれたけど、今度ばかりは、カレのご両親が私たちの結婚に難色を示すかもしれない!」
「母の思惑通り、本当に、今度こそ、この結婚の話が破談になってしまうかもしれない・・・」
そう気づいた私は血の気が引くほど動揺し、父とカレには悟られないようにしていましたが、ちょっと泣きそうなほど絶望感に包まれながら、食事会をするお店へ向かって歩いていたのでした。 ~ つづく ~
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