【遠方に住む親が他界した時に大変だった事】その4.葬儀を終えた後のこと(自宅に帰るまでの日々)

【両親のこと】

無事に葬儀を終えて、お義母さんのお骨と共にもう誰も住んでいない実家へ戻りましたが、ある意味、ここからがまた大変でもありました。

今日は、葬儀を終えた後、諸々の手続きや実家の後始末を済ませてから私たちが埼玉県の自宅に帰る日までの大変だったことや、怒涛の日々についてご紹介したいと思います。(ここからは時系列が多少前後しますが、ご了承下さい。)

時間に余裕がない

お義母さんが他界されて息子夫婦の私たちが高知へ駆けつけたのが1月12日(木)。

そして、夫が勤める会社の忌引き休暇は7日間とされているので、本来であれば20日(金)まで忌引き休暇を取得して、最長22日(日)の午後くらいまで高知にいることが出来て、23日(月)から出社すれば良かったのですが・・・

でも、夫が仕事の都合で20日(金)になるべく会社へ行こうと考えていたのと、心臓病をかかえている愛犬をペットホテルに預かってもらい続けるのも心配だったこともあって、私たちが帰路に着くのは出来る限り高知に来てから一週間後の19日(木)にしようと、夫も私も頭の片隅で考えていました。

そうするためには、どんなに遅くても19日(木)の夕方の便の飛行機に乗らなければいけません。

そして、葬儀を終えて実家へ戻ったのが14日(土)の夜だったので、役所の手続きや、ある程度の実家の後処理を行えるのは15日(日)~19日(木)の夕方までの、残りあと5日間となりました。

実家が近ければそんなに急ぐ必要もないですし「後から少しずつやればいいね」と言えるのですが、こちら埼玉県と実家の高知への往復となれば時間もお金もかかるので、そんなに悠長な事も言ってられず、出来る限りのことをこの5日間でやり切ると夫が決めたため、この5日間と言うものは怒涛の日々となりました。

期限がある役所の手続き

親が他界した時、役所に提出しなければならない書類や手続きなどがありますが、例えば、「死亡届」の提出は7日以内とか、「世帯主変更届」の提出は14日以内とか、「年金受給停止」の手続きは、厚生年金は10日以内、国民年金は14日以内に行うなどの期限があるため、なるべく早めに済ませる必要があります。

なので、手続きが1日ですんなり終わるとも限らないと思って、実家へ戻った翌日の15日(日)に、まずは役所の手続きに取り掛かろうと思いました。

でも、役所は土・日・祝がお休みなので、16日(月)まで待たなければなりませんでした。

手続きが出来るのは息子である夫だけなので、高知を離れるまでのタイムリミットがあったり、いつでもすぐに高知へ来れない夫にしてみれば、限られた日数の間に役所が休みだったことは少し時間のロスになってしまいました。

もしもタイミングで間に土・日・祝が入ってしまっていたら、状況的にはけっこい厳しかっただろうなと思ったのでした。

実家の荷物が多すぎて自分たちでゆっくり片付けることは不可能

実家は賃貸物件(市営住宅)だったので、1~2ヶ月のうちに「解約手続き」と「物件の返却」をする必要がありました

つきましては、実家の中にある家具や荷物を全て撤去しなければならなかったのですが、問題だったのは、お義母さんが一人暮らしとは思えないほどの荷物の多さだったことです。

お義父さんが他界された後、これでもお義母さん一人でだいぶ荷物整理をして綺麗に整理整頓もされていましたけど、それでも、物を大事にする世代のお義母さんの暮らしは、3LDKが狭く感じるほどもの凄い量の荷物がありました。

セレモニーホールにいた時、夫が「実家の荷物は少しずつ自分たちで片付けるしかないね。」と言っていたのですが、実家に到着してほどなくして「こらぁ、自分たちだけでは無理やわ(・・;何度高知に通うことになるか分からん。」と悟ったように言って、荷物の撤去を業者に頼むことを即決したのでした。

時間的にも交通費的にも遠方の実家に何度も通うのは大変と判断したのでした。

こうして、15日(日)に地元の遺品整理の業者に連絡を入れ、翌日16日(月)の午後に見積もりを出すために業者の人に来て、荷物の撤去の日時は19日(木)の午前10時頃から2~3時間の予定となりました。

たった4日間で実家の中の全ての物に目を通さなければならなかった

夫の決断が早く、「遺品整理」と言う形で実家の荷物の撤去を一気に業者に頼むことにしたので、何度も高知へ足を運ぶ必要はなくなり、ひとまず少しホッとしました。

とは言え、家の中にある書類や荷物などを何も確認せずに全部業者に捨ててもらうわけにはいきませんので、業者が来るまでの4日間のうちに、私たち2人だけで実家の中の全ての物に目を通してチェックしなければならなくなりました。

まず、一般ごみで捨てられる物、捨てておいた方が良い物は、20袋くらいゴミ袋に詰めて、住宅のエレベーターが混む前の早朝の5時くらいから何往復もしてゴミ捨て場に運びました。

続いて、思い出の品とか、実家のアルバムとか、すぐに分別しきれない書類や手紙などを、近所のスーパーへ何度も行ってダンボールをもらってきてはどんどんダンボールに詰めていき、ついでに洗濯物もかなりたまってきて持って帰るのは不可能だったのでダンボールへ詰めました。

こうして、どんどんダンボールの山が増えて行ったのでした・・・それはそれは恐ろしいほど・・・

最終的に、実家から自宅へ送るダンボールの数は10箱ほどになりまして(しかも1つ1つのダンボールがけっこう大きくて~汗)、それを全て荷造りして、配送業者の受付まで台車で何往復もして持ち込み、発送するラベルも10枚ガリガリと書き続け、やっと発送が完了した時には疲労困憊でした。

お義母さんがご存命の間は、荷物が多いなぁ~と思っていても嫁の私が口出しは出来ませんでしたけど・・・可能であれば、親が存命のうちに実家の片づけを少しずつしておくべきなんだろうなと思ったのでした

その他諸々大変だったこと

葬儀が終わって実家へ戻った頃、自宅から持って来た着替えのストックが2人ともなくなってしまったので、途中で慌てて下着や洋服を近所のユニクロやしまむらに買いに行って、何とかしのぎました。

あと、実家は親戚が既にガスを止めてくれていたので、お湯を沸かすこともちょっとした食事の準備もすることが出来なかったので、1週間毎日朝昼晩ずっと外食かコンビニ弁当になってしまったのは、けっこうキツかったですね。

そして、ガスが止まっていたのでお風呂に入ることも出来なかったので、毎日2km歩いて温泉施設に通っていたのですが、用事に追われて寝不足で疲労困憊な状態で毎日温泉に通うのはなかなかにヘビーでした。

最終日の19日(木)に遺品整理の業者さんが来て作業が始まり、予定していた通り13時頃には全て終了してくれたので、私たちは急いで夜の便の高知ー羽田の飛行機のチケットを確保して、希望していた通りに19日に埼玉の自宅に帰宅できることになりました。

なので、19日の午後はガランと荷物がなくなった実家の掃除を済ませ、管理人さんにご挨拶を済ませ、親子共々大変お世話になった親戚の皆様の家々を回ってお礼とご挨拶をし、何とかギリギリ飛行機の時間に間に合ったような感じで、本当に本当に最後まで慌ただしくバタバタでした

夫も目の下にクマが出来て疲労の色が隠せませんでしたね。

親子が遠方で暮らしているが故の大変さは人それぞれ色々だと思いますが、正直、お義母さんとのお別れでゆっくり気落ちしている暇もなかったのが実情でした。

こうしてバタバタになってしまわないよう、親と子は色々と話をして決められることは決めておいた方がお互いのためかもしれませんね、と思ったのでした。

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