【本当にたたかったお嫁さま】その8.結婚の挨拶の日程を決めるまで

・本当にたたかったお嫁さま

前回の【本当にたたかったお嫁さま】その7.「両親に結婚の意思を伝えた日」では、

2000年初春、私は意を決して両親に結婚の意思を伝えたところ、案の定、母からは暴言のフルボッコ(--;

思わず涙が堪えられなくなってしまった私でしたが、そこで思いがけない父からの言葉に感謝して、私は心の中で母に対して引導を突き付けることができ、無事に両親へ結婚の意思を伝え終えたと実感できました。

そしてここから母の毒親の状態は悪化の一途を辿り、結婚の挨拶の日程を決めるのでさえ、母の妨害行為で一苦労でした。

今日はそのへんのお話をしたいと思います(^^)

 

私が結婚する意志を伝えたその日から、ただでさえお手上げだった母の状態はさらに悪化していって、その酷さを如実に表していたのは、何と言っても母の顔でしたね。

自分の親のことをこんな風に言うのもどうかとは思いますけど、正直言って、あの頃の母の顔は人として本当に醜かったです。

怒りが頂点に達したまま四六時中顔を真っ赤にさせていて、表情は怒りで歪み、それを隠すでもなく、黙ったまま私に対して全力で怒りをぶつけ続けているような感じで、例えるなら、まるで真っ赤にぐらぐらと煮えたぎるマグマを見ているような気分でした。

そして母はそんな状態のまま、私のことを完全無視し始めました。

朝は私が家を出るまで寝室から出てこない、仕事から帰宅して「ただいま」「いただきます」「ごちそうさまでした」「おやすみ」と挨拶をしても、目も合わさなければ返事も無く、まるで「お前は他人。私には関係ない。」と言わんばかり。

それで、たぶん以前の私だったら、そんな母の様子を見たら絶対に心身共に縮み上がって怯え、身動きが取れなくなってしまったと思います。

でも、それまでずっと母に支配されて生きてきて、それでも何とか親子関係を改善できないかとずっと頑張ってきましたけれど、結婚の意思を伝えた時の母を見て「ああ、もうこの人と分かりあうのは無理なんだな」って完全に諦めがつきましたし、それに、父の言葉のおかげで腹もくくれたので、もう母がどんな態度や暴言や手段を使ってきても「この人はこーゆー人なんだな」って、以前の私には無かった少し引いた目線で母を見ることが出来ました。

でもまぁ、長年植え付けられてきた恐怖心は簡単にはぬぐえませんでしたけどね(^^;

 

こうして、私は相変わらず人としての礼儀として「行ってきます」「ただいま」「いただきます」「ごちそうさまでした」「おやすみ」と挨拶だけは絶対に欠かさず続けてはいたものの、母は私のことを徹底的に無視し、その間、父はひとまず母を刺激しないようだんまりを決め込んで、家の中に家族の会話が無いまま2週間ほど過ぎまして。

カレが実家に結婚の挨拶に来る日程を決めたいけど・・・と思いながら様子を見ていましたが、一向に母の様子も父の様子も変わらなかったのと、母に話をしても無駄であることは一目瞭然だったので、母がいない2階の父の部屋へ行って話をしました。

私はもう

  • 今後の日程のことや相談は「父にする」
  • 母が完全無視を続けるなら「母抜きでもかまわず話を進める」

ことにしたのです。(母は専業主婦で時間にゆとりがあったのと、どのみち、日程の調整をすることがあれば父の仕事の都合に合わせることになるため)

そうでもしないと母の思うつぼで、結婚の話が進まないままになってしまうと思ったからです。

でも、私が話は父にすると言うことは、私は母と話さなくて済むようになるけど、父は私から話をされる度に→父から母に話を伝えて→夫婦として相談してもらってから→私に返事をすることになり、必然的に私と母の板挟みみたいな状態になってしまうことになるので、父としても気の重い作業だったと思います。(←心中お察ししました)

なので、大変申し訳なく思いましたけど、父がもしも私のことを娘だと思ってくれているのなら、そこは頑張ってくれるかな?と僅かな望みにかけて

「カレが結婚の挨拶に来たいそうだけど、お父さんの都合が付く日ある?」

と聞くと、父は

「あ、そう。今週は~ちょっと無理だから、来週の金曜日の夜なら早く帰ってこれるから。」

とのことで、彼が挨拶に来る日程が決まったのでした。

 

本当は私だって、両親に喜んでもらって、歓迎してもらって、カレとも会ってもらいたかったです。

だから挨拶の日程も、母を蚊帳の外みたいな感じにして話を進めたくなかったです。

でも、2人の人生をスタートさせるためには、どうしても母の完全無視と言う妨害行為を突破する必要がありましたし、それまでのようにいつまでも母の思惑に付き合ってあげる時間は、私にはもうありませんでした。

ただひたすら、結婚に向けて頑張るのみでした。

そして結局のところ、カレが結婚の挨拶に来る当日まで、母はずっと完全無視の姿勢を崩さなかったので、父が母に挨拶に来る話をしてくれているのか?も分かりませんでしたし。

父も日程を決めて以降、その事に一切触れることなく当日になってしまったので、私の心の中は、カレが両親に挨拶に来てくれる喜びはほんの1割くらいで、残りの9割は不安と恐怖に包まれていたのでした。

本当なら、人生の中でもかなりめに嬉しい日のはずだったのにね。   ~ つづく ~

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