前回の【本当にたたかったお嫁さま】その41.「娘の誤算」では、
父が母と離婚したいと言った時、私の唯一の気がかりは、家事も料理も出来ない父が離婚して一人で生活していけるのか?と言うところでした。
そこで、私の一番の理解者である母方の祖母に電話をして事情を説明して「父がおばあちゃんの所に離婚の報告に行った時に、家事とか料理とか、一人で生活していけるか最終確認をして欲しいんだけど…」とお願いしたのです。
ところが、私の話が祖母にきちんと伝わっていなかったのか?なぜか話がややこしいことになってしまい、結局、父が母と離婚したいと言う父のわずかな勇気を私が打ち砕いてしまう結果になってしまいました。
そしてそれ以降、父から離婚についての話をされることは無くなってしまい、父に申し訳なく思いつつも、私は私の新たな人生のスタートに向けて準備を続けたのでした。
今日はそのへんのお話をしたいと思います(^^)
2000年11月上旬、父には私の気持ちは変わらず離婚してくれて構わないと思っていることも伝えたかったし、叔父から父に電話が行ってしまったことも謝りたかったし、それに加え、父は叔父からの電話1本で本当に離婚を諦めてしまったのか?など、出来ることなら父ときちんと話をして聞きたいことが沢山ありましたけど、けど!母がいる家でそんな話が出来るはずもありませんでした。
なぜなら、母には知られないよう水面下で、父が私に話し、私が祖母に相談し、叔父から父に電話してきたので、母だけが父の離婚の決意や一連の騒動について知らずにいましたからね。
父が叔父からの電話を受けてどう答えを出しているかは私には分かりませんでしたけど、もしも父が叔父の電話で離婚を諦めてそのまま母と暮らしていくことにしたのならば、なおのこと、母には絶対にバレてはいけませんでした。
だって、父が1度でも母との離婚を考えたことを母が知ってしまったら、私が実家を離れた後、実家に残る父は一生母からの恨みつらみの攻撃を一人で受け続けて生きて行かなければならなくなってしまうのが目に見えていたからです。
さすがに可哀そう過ぎます。
母が神経をとがらせ目を光らせている家の中で、不用意にコソコソと父と話すことすら出来ない状況でしたね。
そして、母だけがそんなことがあったと知らないまま、相変わらず私の存在が家の中に無いかのように無視を続けて暮らしていて、母はもう、私が実家を出るまで、いや、実家を出てからも一生、私とは話すつもりはないのかもねと思いましたが、それでも私は「おはよう」「行ってきます」「ただいま」「いただきます」「ごちそうさま」「おやすみ」の挨拶だけは一方的に続けて暮らしていました。
なぜなら、私は結婚式より20日間くらい前の11月の後半に、一足先にカレが暮らしているワンルームマンションへ引っ越しをすることになっていたので、私が実家で両親と暮らすのは、いよいよ残り2週間ほどになっていたからです。
父や母に私の気持ちが伝わるとは思えませんでしたけど、一人娘として最後まで親には礼儀を通して暮らそうと決めていたんですね。
でも、母はけんもほろろに完全無視を続けていましたし、父とは話すに話せない状況が続いていたため、両親には結婚式の招待状を渡していましたが出欠席の返事すらなくて、最後の最後まで両親が結婚式に来るのか来ないのか分からずまんじりともしないまま、実家での最後の時間を過ごしていたのでした。
何もかもが停滞していたような時期でした。
そんな気分も凹みがちになっていた矢先、披露宴代わりの2次会をするレストランで着るために買った白いシンプルなドレスと、白いパンプスが、カレの家に届いたと連絡がきました。(←実家に届いたら私が会社へ行って留守の間に何をされるか分からないので、念のために届け先の住所はカレの家宛にしておきました。)
やっとちょっと嬉しいことがあったおかげで、私はまた結婚式の準備に意識を向けることができました・・・が、しかーし。
ドレスが届いて、一難去ってまた一難、新たなアクシデント発生。
焦りまくった私でした。 ~ つづく ~
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