私はこの「なばなぶろぐ」を書き始めてから、毒親についてや、毒親である母について、じっくり考える機会が増えました。
この歳になってやっとではありましたが、冷静に過去を振り返れるようになったからです。
そして、母は私にとっていつから「毒親」だったんだろう?と考えて書いた記事が ⇩ こちらです。
毒親との暮らしが遠い昔の過去の話になればなるほど、大人になった今だからこそ見えてくる事も色々あるなと感じています。
そして今日は、そんな大人になった今だからこそ見えてきた子供の頃の私の気持ちについてお話ししたいと思います。
幼稚園の送迎
私が通っていた幼稚園では、親が子供の送り迎えをしていました。
あの頃は時代的に共働きの家庭はさほど多くなかったようで、ほとんどの園児たちはお母さんが送り迎えをしていたように記憶しています。
しかも、昔だったからなのかな?幼稚園には近隣の子供たちが通っていたので、顔見知りの子も沢山通っていましたし、送迎バスもたぶん無かったので、ほとんどのお母さんたちは徒歩か自転車で送迎していたと思います。
朝は、幼稚園の門の前まで母と一緒に行って、門の所で出迎えの幼稚園の先生にバトンタッチされて、校庭を歩いて建物の中に入って行って。
帰りの時間になると、園児たちは自分の荷物を持って教室を出て、靴を履き替えて門の所へ行き、門の前まで迎えにきているお母さんたちと合流して、わらわらと自分の家の方面に散って歩いて帰ったのでした。
そんな感じの幼稚園の送り迎えだったので、朝はご家庭ごとに幼稚園に到着する時間も多少時差がありましたが、お迎えの時間は決まっていたので、子供たちが門の所に出てくるまでお迎えに来たお母さんたちは門の外で待ちながら、そこでちょっと立ち話をしたり、「あ、○○ちゃんのお母さんなんですね!」みたいな感じで顔見知りになっていたみたいです。
幼稚園のお迎えに来て倒れる母
そして、ある日のことです。
母がいつものように幼稚園までお迎えに来て、顔見知りになったお母さんたちにニコニコと挨拶をしながら私と合流して、さて帰ろう…としたタイミングで、母が急に立ち止まって、おでこに手をあてて、その場にペタンと座り込んだのです。
それに気づいた周りにいたお母さんたちが「あら?!○○さん?どうしたの?」「大丈夫?」「立てる?」と母の周りに集まって来てちょっとした騒ぎになって、母は2人のお母さんに両脇を抱えてもらいながら幼稚園の中に運ばれました。
そして、園長室のソファーで先生たちや数人のお母さんたちに見守られながら横になって休ませてもらって、30分ほどして「おかげさまで、落ち着きました(^^)」とお礼を言って、母が立ち上がりました。
その時、確か幼稚園の先生だったかな、私に向かって
「ああ~なばなちゃん!良かったねぇ~!お母さん元気になったよぉ!」
と言われて、なぜか全く心配していなかった私はそこでハッとなって
「えっ?あ・・・うん、良かった・・・」
と作り笑いをして答えてました、幼稚園児が。
幼い子供が目の前で自分のお母さんが倒れたとしたら、たぶん、もの凄く心配で不安でどうしたらいいか分からなくて「おかぁ~~さぁ~~~ん( ノД`)」と泣いたっておかしくないじゃないですか。
でも私、終始ケロッとして大人たちの様子を見ていただけでした。
帰宅後
こうして回復した母は、幼稚園の先生と数人のお母さんたちに盛大に見送られ、私を連れて帰路についたのでした。
でも、幼稚園から離れた母は、少し前に倒れていたとは思えないくらい普通に歩いていました。
家に帰ってからも、いつものように晩ご飯の支度をして、いつものようにしっかり食事をして。
なんだったら、帰宅して一緒に食事をしていた父に
「今日ね、貧血で急にフラッときて倒れちゃったのよ!もうね、地面と空がグルッて回ったみたいになってね!それで周りにいたお母さんたちが抱えて運んでくれてねっ!園長室で横にさせてもらってねっ!・・・etc」
と、自分が倒れた話を興奮して話ていました。
その母の様子は、「参っちゃったわ・・・(◞‸◟)」って感じではなくて、「聞いて!聞いて!(≧▽≦)」って感じで、何だかとても嬉しそうに見えました。
後日
そんな事があってから、たぶん1ヶ月くらいしか経っていなかったと思うのですが、また母が倒れました。
お迎えに来て、お母さんたちにニコニコと挨拶して、さて帰るぞってタイミングで、他のお母さんたちの目の前で倒れる。
前回と全く同じでした。
この時は母が倒れるのも2回目だったので、周りにいたお母さんたちも「あらあら、また貧血ね!」と慣れた感じで素早く幼稚園の中に運び込んでくれて、今度は先生たちに任せて先に帰って行かれました。
そして母はまた30分ほど休ませてもらって回復して、先生たちにお礼を言って、私を連れていつものように歩いて帰り。
帰宅してから、いつものように晩ご飯の支度をして、いつものように普通にしっかり食事をして。
そしてまた、帰宅して一緒に食事をしていた父に
「今日もまた、貧血で急にフラッときて倒れちゃったのよ!また地面と空がグルッて回ったみたいになってね!それでまた○○ちゃんのお母さんに抱えてもらって園長室に運んでもらって!・・・etc」
まるで自分が物語の主人公になったかのように、嬉しそうに話していました。
そして今度は私に
「アンタ、お母さんが倒れて心配じゃないの?」
と聞いてきたので、この質問には、私も幼いながらにさすがに気まずさを感じて
「心配したよ・・・お母さん、病院に行かないの?」
思わず素直な疑問を言葉にしたのですが、母は即答で
「病院なんか行かないわよ。」
母の違和感に気づいていたのかもしれない
と、このような昔の事を思い出しながら、「なんであの時の私は母のことを心配しなかったんだろう?」と、ふと、考えてみたのです。
で、大人になった今になって思うに、私は幼いながらに母の違和感に気づいていたのかもしれません。
- 母が倒れた瞬間を目の前で見ていた私には、母が本当に具合が悪そうに見えなかった(演技?)
- 沢山の人に心配されて、嬉しそうにしていた母
- 幼稚園を離れた途端に、いつも通りに戻っていた母
- 家では1度も倒れたことなんてない母
- それなのに、どうしてだか幼稚園のお迎えに来た時だけみんなの前で倒れる母
- 「お母さんのこと心配じゃないの?」と聞いておいて「病院なんか行かない」と即答する母
幼かった頃の私には言葉には出来なかった漠然とした違和感でしたけど、大人になった私はこうやって言葉に出来て、違和感の正体に気づくことが出来るようになりました。
でも、幼かった私だって、違和感をちゃんと違和感として感じ取っていたからこそ、無意識レベルで母を心配しなかったのだと思うし、私に「お母さんのこと心配じゃないの?」って聞くぐらい具合悪いのに「なんで病院行かないの?」って素直に不思議に思ったのでしょう。
やっぱり私は、幼い頃から母の違和感に気づいていたみたいです。
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