都合の良い人の気持ち

エッセイ

これまでもブログに書いてきましたが、私は毒親育ちで長年の生活習慣から無意識のうち身についてしまっていた毒親育ちならではの特徴なんかもあって、私は自分のことよりも他人の事を優先してしまう自己犠牲タイプでした。

そして、私は自分より他人を優先するあまりに、他人から親しく思われていたり頼りにされていたのではなくて、都合の良い人になっていただけなんだなと気付きました。

今日は、かつて私がどんな感じで都合の良い存在になっていたのかとか、都合の良い存在になっていると気付いた時の私の気持ちについてなどを、ちょっと具体的に書いてみたいと思います。

都合の良い人だった時

どうも私は、毒親の母がいる苦しい家庭環境で育ったので、他人が落ち込んでいる時とか大変なことになって焦っている時とか、そのような感情や状況に気付くのがたぶん普通の人よりも敏感みたいなんですよね。

自分がつらくて苦しかった分、他人の気持ちを嫌でも察してしまうのです。

顔色をうかがっているわけではないけど、気付いちゃうのです。

だから、その他人が友達や知人なのであれば、「私に出来ることがあれば手を貸してあげようかな」と思いがちです。

で、若い頃はそんな自分の特徴に気づいていなかったですし、何だったら良かれと思っていましたし、それで友人知人の大変さが少しでも楽になったり解決できたら私も嬉しく思っていました。

「だって、友達だもん!会社の仲間だもん!」ってね。

だから、「話を聞いて~(T_T)」と頼まれれば「どうしたの?」と、いつでも一緒にご飯を食べに行ったり飲みに行って。

友達が食事も喉を通らないほど落ち込んでいる時は「ウチ来る?」と、手料理をふるまって元気づけたり、夫が出張などで家にいない時は泊まらせてあげて。

電話がかかってくれば、何時間だって、深夜だって、次の日も仕事だって、付き合って話を聞いていました。

頼まれたら出来る限り引き受けて、自分の時間や予定の都合よりも相手の事を慮って、無意識に優先させていましたね。

なので、友達の中には私のことを「心の友」と言ってくれていた人もいて、もしかしたら、友達は本当にそう思ってくれていたのかもしれませんし、私もそう思ってもらえているなら嬉しいなと思っていました。

そんな関係を私も「本当の友達」と思ったりしていました。

気付いた時の気持ち

そんな私でしたが、30代の半ば頃に友人知人との関係に疑問を感じるような事がちょうど幾つも重なりました。

例えば、20代の頃は私も相談に乗ってもらったことがあるとある友達がいましたが、30代になった頃には大袈裟とかではなくたぶん95%くらい私の方が愚痴や相談の聞き役になっていました。

でもある日、「たまには私の愚痴も聞いてもらってもいいよね…」と思って、私からは久しぶりに電話をしてみたんですけど、数分ほど話し始めたところで「後でかけ直していい?」と言われて切った電話も、かかってきませんでした。

それなのに友達に何かあった時は「ちょっと聞いてぇ~」と電話は何度でもかかってくるし、1時間でも2時間でも話しをしてくるし。

それで私、やっと気付いたんですよね。

私は友達なんかではなくてただの都合の良い人で、「心のゴミ捨て場」だったんだなって。

苦しい時やつらい時だけゴミを捨てに来て、捨てたいだけ捨てれる場所で、元気な時は連絡も無いし、楽しく遊ぶ時は別の友達。

べつに自分を卑下しているわけじゃなくてですね、それが現実だって気づいたんですね。

それでやっぱり、「私は誰かの心のゴミ捨て場でいるのは嫌だ」と思いまして、フェードアウトするようにその人とは離れました。

 

また別の知人たちの場合。

知人の方から「ご飯食べに行こうよ!「飲みに行こうよ!」と連絡がくる場合、なるべく断らない私はもちろん「いいよ~」と返事をするわけですが、そうなると、どうしてだか?ほとんどの知人はこう言うのです。

「それじゃあ、私はお店はどこでもいいから、お店と日時を決めて~」

まるで「なばなの好きなお店にしていいよ。なばなの都合の良い日にしていいよ。」と気を使ってくれているかのように。

こうして、誘われたのは私のはずなのに、私がお店を探して、私が「このお店はどうかな?」と知人にお伺いを立てて、私が知人の日程の確認をして、私がお店に予約を入れて、私が知人に連絡をすることになるのです。

なばなを誘えば必ず付き合ってくれる、なばなに任せればお店も決めてくれる、なんて思っているのだとしたら、それは私を頼りにしているのではなくて、私に丸投げしているだけだよね、と気付いたのです。

なのでそれからの私は、お誘いを受けたりお誘いしたりする場合、時には私がお店の手配をすることもあるけど、時にはお店の手配をしてくれる人とだけ楽しくお付き合いを続けています。

些細な事だけど親しき中にもと言った感じで、やっぱりgive&takeは信頼関係でもありました。

当たり前は当たり前ではないかもよ?

その他にも幾つもの「なんだかなぁ~」な出来事が重なりまして。

そこで、私って「〇〇して~」とgiveを求められてばかりいるなぁ…とやっと気付いてみれば、私の周りには、giveを求めてばかりな人の多いことよ(^^;

それが当たり前と思っているであろう人の多いことよ(^^;

そのような人たちは、「友達だから」「信頼しているから」と言う理由で、無意識に頼ったりやってもらうのが当たり前になっていただろうし、何だったら全く悪気も無いだろうから、都合の良い人になっている人の気持ちにも気づかないかもしれませんね。

私がその事実に気付けたことは、自分にとっては良かったと思っています。

でも、その事実に気付いた時は、悲しいような~虚しいような~腹立たしいような~残念なような~何とも言えない気持ちが入り混じって、心に小さな穴が開いたような感覚にもなって、その穴を埋めるのに、けっこな時間がかかってしまいました。

いや、もしかしたら?まだ穴は埋まり切っていないかも?しれません。

「他人が自分にさいてくれる時間とか寄り添ってくれる気持ちは、当たり前ではないかもしれない」と気付いてくれる人が少しでも増えたら、心に小さな穴が開いてしまう人を減らせるかもしれないな、と思う今日この頃です。

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